中国の古代鷹犬もサルーキに似ていたようだ

 前に、サルーキというアラブの鷹犬について書いたが、サルーキ saluki が シロハヤブサ gyrfalcon に、獲物を分けてもらう興味深い動画があった。
 
 
 
 鷹と鷹犬が、仲よく育てられているのが分かるし、ご主人様はタカなのだと、鷹犬は仕込まれていることも、よく伺わせる。
 
 サルーキは欧州へ、十字軍遠征によって運び込まれ、今では家庭でも飼われ、日本にも輸入されている。グレーハウンドの仲間という。
 
 東洋の鷹犬はどんなだったのだろう。中国の鷹犬は「黄犬」といわれた。「史記」(前91年ごろ完成)の巻87李斯列伝に出てくる。秦の始皇帝の宰相李斯が死刑に処される前、次のように嘆いたという。
 
吾欲与若復牽黄犬 倶出上蔡東門逐狡兎、豈可得平
《もう一度、お前(ともに処刑される次男)と、黄犬をひいて、上蔡の東門を出て、兎狩りをしてみたかったが、かなわぬこととなった。》
 
 これだけだと黄犬は猟犬だが、「太平御覧」(宋代初期 977-983頃の書)は、これを
 史記曰、李斯臨刑、思牽黄犬、臂蒼鷹、出上蔡東門、不可得矣」と 黄犬を牽き、腕に蒼鷹を止めて、と書き、黄犬が鷹犬だったと解釈している。
 
 サルーキのように四肢の長い、速脚のハウンド系だったのだろうか。 秦のころ、ハウンド系のイヌが中国に居た証拠は見つからない。藤島志麻さんの「中国古代のイヌの品種改良」によると、唐代になって、いままで見られない形態のイヌが出現し、サルーキに似た大型犬」が、陜西省の懿徳太子=李重潤の墓に描かれているという。
 
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  確かに、サルーキに似ている。黄犬探しを、さらに進めてみたい。
 
 
 
 
(続く)