鷹狩における鷹犬の存在。古代日本でも、鷹と犬がセットだったことを伺わせるものが残っている。
「貢上鷹養人参拾人・・・貢上犬壱拾五頭」。
天平時代に、鷹狩で鷹犬が大きな役割を持っていたことが分かる。鷹犬は調教されていたのだ。
大隅隼人、阿多隼人と隼人が住んでいた土地だ。前に推定したように、隼人が鷹犬を育てていたことを、示しているようだ。
では、いかなる犬種だったのだろう。ヒントになるのは、2010年に、発掘された5世紀の犬の骨だ。『河内の牧』があったとされる大阪府四条畷市の蔀屋北遺跡で体長52㌢(弥生犬は46㌢程度)の犬の骨が見つかった。
クチという「ハヤブサ」の鷹狩りが百済から移入した(日本書紀)のと同様、鷹犬も、百済から移入されたということではないか。52㌢だと、四国犬くらいの大きさだという。薩摩犬や、その元祖とされる甑山犬を想像してみる。
縄文犬、弥生犬が鷹犬に育てられたのか、或は古墳時代の渡来犬が各地で鷹犬として育てられたのか。鷹狩りのことを調べて行くうちに、どんどん深かみに入り込んでしまった。
西郷隆盛の愛した薩摩犬のつん、つんも鷹犬の末裔か