出雲国風土記でハヤブサを晨風と表記したわけ

 久しぶりにハヤブサについて。
 
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 ハヤブサは、トルコ、モンゴル、朝鮮と、鷹狩文化が盛んだった地域で、一定の呼ばれ方をしていた。
 ションホル。地域によっては、ションコル、ションコンなど、変化はある。
 例えば17世紀の、朝鮮語の辞書「新増類合」を見ると、漢語のハヤブサ=「鶻」は、
「syongkori」(朝鮮語)-「shongkhor」(モンゴル語)-「shungkhar」(トルコ語)-「shongkon」(満州語)とある。
 無理にカタカナ書きすれば、ションコリ ― ションホル ― シュンハル ― ションコン。
 
 ハヤブサだけでなく、鷹名についても、上記の言語で共通していて、鷹狩文化を受け入れた地域では、鷹の名もセットで受け入れ、同一名で広がったと推定できる。
 
 以前、日本でも8世紀に、ハヤブサを「ションコル」と呼んでいた痕跡として、隼人が住んでいた、「薩摩国」の前身の名が「唱更国」だったことをあげた。当時の日本でも、隼=ハヤブサを、ションコルと呼んでいたので、ショウコウ=唱更国になったと考えたのだ。ショウコウは、ションコルのバリエーションのひとつ、ではないかと。
 唱更国と称されたのは、大宝2年(702年)から、和銅2年(709年)ごろ。
 
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 8世紀、ほかにも、ハヤブサをションコルと呼んでいた痕跡がある。「出雲国風土記」だ(和銅6年=713年に編纂の発令を受け、天平5年=733年に完成)。
 この中にハヤブサが出てくる。ハヤブサの表記は、8カ所で「晨風」。朝の風という意味だろうが、これでハヤブサと読んでいる。「意宇の郡」の条では、「晨風(字あるいは隼に作る)」とある。この箇所を含め、隼の表記は3つ。圧倒的にハヤブサ表記は、晨風であることが分かる。
 
 さて、晨風は何と呼ぶのか。シンフウ。
 ションホル、ションコルのバリュエーションと考えられないか。
 
 8世紀に、隼人の国をショウコウ、出雲では隼をシンフウと呼んでいた。ションホル名のハヤブサの鷹狩文化が、日本にも伝えられた証拠である、僕はそう考えている。
 
 
 イラストは、セーカーハヤブサ(O・シャグダルスレン「モンゴルの猛禽類」1983、ウランバートル