宝井其角という元禄時代の俳人は、偉大な師匠松尾芭蕉に比べても、知識も豊富、世間のこともよく分かった御仁だった、と思うようになった。しかし、句は当時の事情が分からないと理解できない難点がある。
猫の句が多いのも好ましい。猫の「5つの徳」として、猫の生態を句に残している。
「或お寺にねう(にょう)比丘とて腰のぬけたるおはしけり。住持の深くいとをしみ申されしに五つの徳を感ず」
(ある寺にねう比丘(猫僧)という腰のぬけた方がおられた。住職が深く可愛がっていて、五つの徳を感じるのだという)
猫の五徳は、
能睡 よく眠り
能忘 よく忘れ
能捕 よく捕え
能狂 よく狂い
能耽 よく耽る(熱中する)
それぞれ句を添えている。
能睡 暖な所嗅出すねぶり哉
《温かいところを探し出して眠りこけている》
能忘 おもへ春七年かふた夜の雨
(よく分からない)
能捕 鶉かと鼠の味を問ふてまし
《やはりうずらのようですか、と鼠の味を聞いてみようか》
中国の「田鼠化為鶉」(田の鼠は鶉に為る)という言い回しを受けたものだそうだ。
能狂 陽炎としきりに狂ふ心哉
《かげろう相手にもしきりにじゃれる猫の心持ちよ》
能耽 髭のあるめおとめづらし花心
《ともに髭の生えた夫婦とは、賞賛すべき風流心》
この猫の五徳は、「鶏の五徳」(前漢の「韓詩外伝」にある)に対して、其角が洒落で拵えたものと国文学者は解釈している。
鶏の五徳は
頭に冠を戴くは「文」
足の距(けづめ)にてうつは「武」
敵前に在りて敢て闘うは「勇」
食を見て相呼ぶは「仁」
夜を守りて時を失はざるは「信」
なのだそうだ。
ピンと来ないと思ったら、南方熊楠が、鶏の五徳をひねった「猫の五徳」はすでに中国にあり、清の「淵鑑類函」に載っていると指摘していた(「十二支」)。
それによると、彬師という僧が猫の五徳を語ったというもので、
1 鼠を見るも捕えず 仁
2 鼠に食を奪わるるも怒らずに譲り与える 義
3 客至って饌を設くればすなわち出て来る 礼
4 物を蔵するに密なれども能く盗む 智
5 冬月毎に竈に入る 信
其角は、「淵鑑類函」を読んで、自分もひねったのか、と膝を叩いたが、江戸時代に日本での流布した同書の編纂は1710年。其角(1661-1707)の死後であった。
その前に、猫の五徳の話はないものか、調べてみると、明の馮夢龍編著「古今譚概」巻26に同じ「猫五徳」の笑話があった。
「万寿僧の彬師が嘗て客と対したとき、
猫が其の傍らに踞った
師が客に言うには
人は鶏に五徳ありと言うが
この猫もまた(五徳が)あるのだ」
そういって、上記の五徳を上げた。
坊さんが、飼猫の五徳を披露する点は、まるで其角の猫の五徳の前書きとそっくり。其角は、この猫の五徳を、再度ひねって「ねう比丘」の五徳を拵えたのだった。仁義礼などの儒教の五徳を、自由気ままな、禅にもつながるような元禄の猫の五徳に変えてしまった。
「古今譚概」は当初は評判にならず、1620年に「古今笑」として再版されて注目され、1667年に34巻で再編纂されて刊行されたのだという。其角は、この長大な説話集の中から、猫の話をいち早く仕入れていたことになる。
其角が、博覧強記であったとしても、猫の五徳の話をよく見つけ出せたと思う。あるいは、元禄時代に書物でなく、例えば唄など、別の媒体で猫の話が流布していたのかもしれない。
其角は面白いが、難解なのは、元禄文化が蓄えている豊富な情報量のせいなのだと思う。