酔胡従の割れた鼻について

 前に書き散らしたことの整理を始めることにした。まずは伎楽の面のこと。

 飛鳥時代伝来したとされる「伎楽」は、笑いの要素がたっぷり詰まった舞だった。十ほどある出し物には、酔っぱらいの模写、おむつ洗いのマネ、女人にちょっかいを出し、叩きのめされる男の様もあった。

 伎楽は絶えてしまったが、狂言の故野村万之丞氏は再興に向けて尽力した。「大田楽」と銘打った野外劇を見物したこともあって、同氏の試みに注目していたが、働き盛りで逝去してしまった。

 前に書いたのは、野村氏がブータンで出会った古い仮面劇「ベーチャム」のこと。その中の「ポレモレ」という物語を見て、伎楽の原型ではないかとひらめいたという話だ。正倉院東大寺法隆寺などに残る伎楽面には、鼻が欠けたり、修復されたものが多いのに気づき、同氏は呉女の面だと見ていた。

 「ポレモレ」はポ王、モ后の物語で、ポ王が戦いに出ている時、モ后は召使の婆にそそのかされて、浮気してしまう。戻った王にばれてしまい、后は鼻を斬り落とされてしまうのだった(鼻は婆羅門の治療で元通りになる)。 

 野村氏は、呉女の原型はこのモ后であり、だから呉女の面の鼻が欠けていると推定したのだった。(「マスクロード」02年、NHK出版)

  

 同書に興味を持って、私も正倉院に残された伎楽面を調べてみたところ、鼻が欠損している大半の面は、呉女ではなくて「酔胡従」の面らしいことが分かった。

 石田茂作「正倉院伎楽面の研究」(1955、美術出版社)で確認しただけで、最低5面あった。

  

 酔胡従というのは「酔胡王」に従う群衆役(4-8人位か)で、伎楽の最後の出し物「酔胡」に登場する。しかめっ面だったり、笑ったり、怒ったりと酒のみの生態を表した面をつけ、酔っぱらいの仕草でコミカルに舞ったとみられている。

 美術史家の野間清六氏などは、伎楽のフィナーレであることから、酔胡王をギリシャの酒神バッカスに例え、「聯想されるのは・・・バッカスの信者の扮装行列に、ディオニソスや陽物のシンボルに対する讃美者が合流し、この陽気な一団のコモスが、群衆に諧謔を投じながら練り歩く光景である」(「日本仮面史」昭和18年)と記し、劇の終わりの陽気な騒ぎだったと推測している。

 酔胡王、酔胡従の面の特徴、とりわけ尖った長い鼻はそんな経緯もあると思ったのだろうか。

 私は、同じように酔っぱらいが舞う舞楽「胡徳楽」を調べてみた。高麗楽の演目とされている。9人の酔っぱらい(胡童)が輪を作って舞うもので、輪に「勧盃」と「瓶子取」の演者が分け入って、胡童たちに酒を勧めるのだった。

 

 鼻が左右にぶらぶら動く

 

 胡徳楽の面は伎楽面と違って、鼻が尖っていない。長い鼻がくっついているのだ。面の鼻を覆うように長い別の鼻が付けられ、左右に動く工夫がされている。

 演目では、胡童たちの酔いが回ると鼻が動き出す、酔いのバロメータとして鼻を活用しているのだ。胡童の鼻が次々に動き出すが、1人だけ動かない。そんななか、瓶子取は酒を持ち出し、陰でコッソリ飲む。酔った瓶子取はこれまたヘンテコな踊りを始めるのだー。

 

 平安時代の「教訓抄」には、「伎楽」の「酔胡」の後に「武徳楽」の演目が記されている。残念ながら内容については触れていないが、「胡徳楽」と名称は似ており、あるいは、相似した酔っぱらいの舞だったと考えていいのではないか。

 伎楽の多くの酔胡従の鼻が欠損しているのは、極端に尖った長い鼻が壊れやすかったからであるのは間違いない(同様の鼻の波羅門は折れていないが)。

「胡徳楽」の酔っぱらいの面で鼻が動くように、伎楽でも高い鼻が舞台で別の役割を担っていたのかもしれない。そのために面の鼻の部分が壊れやすくなってしまったのかもしれない。

 野村氏のひらめきに触発されて、考えて来た結果はごくごく平凡なものに終わってしまった。