蘇鉄と信長猫

 滋賀県は10月に安土城天主台の周辺調査を開始した。20年がかりの計画という。

 安土城の大庭には蘇鉄が植えられていたと、歌舞伎、浄瑠璃「絵本太功記」(1799)に出てくるのを思い出した。織田信長は堺の寺院「妙国寺」の庭に植えられていた大蘇鉄が気に入り、強引に安土に移植したという逸話だ。

 城に植えられた蘇鉄は、夜な夜な声をあげている、という噂が立った。「妙国寺へ帰らん、帰せ~」と声を発しているというのだ。

 

 太功記の基になった「絵本太閤記」(1797)によると、信長は森蘭丸とともに噂を確認に庭に出た。たしかに声が聞こえる、これは妖怪に違いない。信長は翌朝300人を集めて蘇鉄の伐採を命じた。

 ところが、男たちが斧を入れようとすると、次々に倒れ血を吐いて悶絶死した。蘇鉄に慄いた信長はそのまま妙国寺に戻すことに決めたのだった。

 この逸話は、浮世絵師たちは恰好の題材となった。月岡芳年は「和漢百物語」(上図、部分)、歌川芳艶は「瓢軍談五十四場」で取りあげた。

 

 

 

 異国情緒が好まれたのか、蘇鉄は桃山時代から江戸時代にかけて流行したようだ。二条城二之丸庭園、本願寺大書院庭園にも植えられた。妙国寺の蘇鉄に目を付けた信長の逸話が事実なら、安土城が先鞭をつけたことになる。=上は、妙国寺蘇鉄之図部分(1750)。

 東海道・赤坂の宿にも蘇鉄が植えられ名物だったようで、歌川広重は「東海道五十三次 赤坂・旅舎招婦ノ図」で宿の庭の蘇鉄を描いている。

 

 私が魅かれるのは、金魚を狙う猫の後ろに、蘇鉄が配されている礒田湖龍斎(1735-1790)の美しい錦絵だ。シカゴ美術館に収蔵されている「Cat Pawing at Goldfish」。

 白地に黒のあでやかな斑紋の猫が右前脚を金魚鉢に突っ込み、無防備な金魚に狙いを定めている。

 

 

 湖龍斎は「見立絵」を始めた美人画の鈴木春信(1724-1770)に学んだ。春信は、源氏物語の情景を置き換えて、当世吉原の美人画を描いたり、絵に古典の見立てを仕掛けをした画家だった。絵を見る者に絵の美しさとともに、絵の背後にある古典の見立てを探らせる楽しみ方を開発したのだった。

 

 あるいは、湖龍斎はこの猫の絵でも、師匠から学んだ見立てを仕掛けているのではないか。

 蘇鉄をヒントにしてみる。猫の背景の蘇鉄の描き方は、妙国寺の蘇鉄の絵に似ている。金魚を狙う美しくも残忍な目をしたこの美しい猫は、湖龍斎が信長に見立てた猫ではなかったか。

  残酷な性格を持った信長が猫だったら、金魚を狙うこんな猫になるのではというわけだ。あるいは、猫には信長に似た残忍さを持っている、と湖龍斎は見ていたのか。

 私はこの猫を勝手に「織田猫」「信長猫」と呼んでいる。