漱石忌とうちの初代、2代目猫

 知人がフェイスブックで、ジョン・レノンが殺害された当日の思い出を書いていた。
 12月8日、私は石坂敬一さんの元へ、東芝EMIに飛んで行ったのを覚えている。その石坂さんも泉下の人となった。
 
 その翌日は、漱石忌なのだと最近知った。
 我が家の猫は、未明からいつものように暴れて起こしに来、日が差してくると窓辺で横になって過ごしていた。猫は気ままでいいなあ。
 
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 前の飼い猫のお骨は家で祀っているが、そろそろ、京都の寺と相談して埋葬しないとならない。
 
 漱石未亡人の鏡子さんは、初代の猫の骨を、こっそり雑司ヶ谷漱石の墓に入れたと記憶していたので、確認してみた。
吾輩は猫である」の猫は、確か2度目の引っ越しで、早稲田の家に来てから急に体調を崩した。「こちらに越してきてから妙に元気がなく」「いつの間にか見えなくなったかと思っているうちに物置きの古いへっついの上で固くなっておりました。俥屋に頼んで蜜柑箱に入れて、それを書斎裏の桜の樹の下に埋めました。そうして小さい墓標に、夏目が『この下に稲妻起こる宵あらん』と句を題しました。九月十三日を命日といたしまして、毎年それからこの日はお祭りをいたします」(夏目鏡子述「漱石の思い出」、文春文庫)
 
 その後、猫の墓には文鳥、犬(ヘクトー)が埋められた。子供たちは、金魚が死ぬと真似て埋めたりした。猫の一三回忌に九重の石の供養塔が建てられた。
 
 骨を移した話は「漱石の思い出」で見つからなかった。漱石の次男、夏目伸六「父・夏目漱石」(文芸春秋新社)を当たると、あった。
私は母から同時に、奇妙な事実を聞かされた。つまり、新宿区が文化財として保存した猫の墓は、実際にはもぬけの殻で、中身の骨は、とうの昔に、雑司ヶ谷の父の墓地に移されて居ると云うのである。/それで、私も、/「区役所の連中は、それを知っているのかね」/と聞いた訳だが、母は、例の通り、甚だ無造作な調子で、/「知ってるんだろう」と答えてから、/「だって、あたしが、猫の骨はあの下にはございませんよって、断ったら、へえ、それでも結構でございますって、云ってたもの」/と附け足した。
 
 私が驚いたのは、猫塚といわれる新宿区の供養塔には、猫の骨がないということでなく、漱石の墓の中に、猫の骨が移されているという点だった。人の墓にペットを埋めるのは、基本は認められない。鏡子夫人は、改葬時にやってのけてしまったようだ。犬も一緒だったのだろうか?
 私も猫と一緒に墓に入りたいが、金魚はいらないなと思った。