法科をほうかと読み替えて

 駿河台下の銀杏並木がようやく色づきだした。銀杏の句には、有名な
 
 銀杏散るまっただ中に法科あり
 
 という山口青邨の東大本郷の銀杏を描いたものがあり、ついつい思い出してしまう。大昔、小学校の授業で、俳句の時間が週一回あったので、五七五が身体に染み付いてしまったようなのだ。
 
 この銀杏の句は、初めは、東大=銀杏ということで、素直に受け入れていたが、齢を重ねてくるうちに、日本の官僚組織の頂点の象徴でもある東大法学部の誇りのようなものが句にも漂っているのを感じて、敬遠するようになった。
 
 しかし、銀杏散る時節になると、口をついて出てくる。去年の秋、駿河台下の石畳を歩きながら、はっとひらめいた。
 
 法科は、ほうかだ。
 
 法科を、ほうか、とひらがなにし、「木下ほうか」という俳優に読み替えたのだ。この俳優を、始めてみた時は、シモキタあたりでブラブラしているおじさんのようだった。
 みているうちに、だんだん印象が強くなって、地味だが、思いがけなく運動神経があり、鉄棒などをやらせたら、何回でも回りそうな屈強な感じが漂ってきた。
 
 知人にも、ひとり、こういうタイプがいるので、銀杏散るまっただ中、向こうから、「ほうか君」が歩いてくる、と自分勝手にイメージしたのだ。地味な服装だが、今日は、派手なマフラーをしている、などと―。
 
 というわけで、駿河台下の銀杏並木を歩きつつ、なぜか、木下ほうかを思い浮かべる季節である。

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