北大の総合博物館を急ぎ足で廻る

    札幌出張の合間を縫って、北大のキャンパスを歩いた。秋も深まって、ギンナン、どんぐりの実がもう落ちていた。天気雨が銀杏並木から、きらきら光りながら降ってきたので、総合博物館に入って雨宿りした。
 
 3階建てで、はじめは東大・本郷の総合博物館くらいかな、と思ったら、違った。農学校設立の明治9年以来の蓄積なのだろうか、400万点の標本を収蔵していて、歴史と伝統の重みを思い知らされ、急ぎ足で廻るのがもったいなかった。昨年のノーベル化学賞受章者、鈴木章名誉教授のメダルも展示してある。
  
 モンゴル高原で見かけて、気になっていたウスバアゲハ科の美しい標本も多数あった。高山植物を食草とするウスバアゲハは、ひらひらと舞う様が、はかなげであり、頼りなげであり、喩えようもなく、美しい飛び方だった。
 
 恐竜の骨格標本も迫力があり、モンゴルの恐竜展が2006年、この博物館で開催されていた。ゴビ砂漠は、イグアナの親分のようなイグアノドンばかりでなく、恐竜の宝庫なのだった。
 
 競馬シンボリルドルフが30歳でなくなったばかりが、サラブレッドの骨格=写真=も展示されていて、華奢な、小さな骨で組み立てられた関節をまじまじと見、尻尾の骨が意外と短いものなのだ、と観察した。
 
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 「増補アイヌ考古学」という北方新書があったので、買って読み出した。中世に内耳鉄鍋が本土から流入し、内耳式の土鍋が北海道で作られたが、内側に吊るす部分=内耳がある容器は、炉に吊るして煮炊きできるようになった証拠で、アイヌ文化にとって、かまどのある住まいから、家に炉のある生活に変った画期的なことだったと知った。
 
 たしか、沖縄でも、中世に滑石製の石鍋が、長崎・西彼杵半島から流入したはずだ。沖縄の生活も、石鍋の流入で変ったのかどうか。かまどと炉の関係はどうなっているのだろう? た、気になることが増えた。