熊本時代の猫も名なしだったのか

 また熊本を訪ねた。

 市の中心地は賑わいを取り戻していたが、町の人に話を聞くと、復興には、あと3年はかかりそうだという。
 朝、辛島町のホテルから坪井川に沿って北へ歩き、夏目漱石の旧居を目指した。熊本で6回引っ越しした漱石が5度目に住んだ内坪井の家。地震で壊れなかったと聞いていたので、てっきり9時半には開館していると思ったら、グリーンの柵が家屋を囲み、近づけないようになっていた。
 庭で作業していた男性に話を聞くと、「いつ壊れるかわからないので、私らも中に入れません」これから、建物をどう保護するか、検討に入るらしい。「あと、2,3年はかかるそうですよ」。
 庭の半ばまで入れるので、家の中を覗くと、漱石先生と猫の姿があった。

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 からくり人形だと書いてある。漱石人形が猫を撫でるらしい。髭も動きそうだ。地震前は、部屋の奥に納まっていたが、閉館中は、縁側近くに出てきて、硝子戸の中から、こうして訪ねてくる客への挨拶に答えているらしい。

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  でも、この白と黒のブチの猫は、なんの猫なんだろう。吾輩は猫である」の、名無し猫は、漱石の熊本時代(明治29-32年)から6年後の明治38年に発表されたもので、東京・千駄木、西片町、早稲田時代の猫。確か白黒の猫でなかったはずだ。漱石の次男の夏目伸六氏は「縞猫」と記していた。
 
新宿区の文化財保護委員は、どこから割り出したものか、至極簡単に、これを三毛猫と断定しており、父自身の表現では、『彼斯(ペルシャ)産の猫の如く黄を含める淡灰色に漆の如き斑入りの皮膚を有して居る。』 と、これまた結構、豪勢な毛衣を着用して居る事になって居るが、私の母の記憶では、『あら、丁度うちの《お母ちゃん》(その後飼った猫)とそっくりよ』と云うのが、どうやら、一番その真相に近いらしく、つまり、矢鱈とそこら辺に、うろちょろして居る、謂わば駄猫の標本にも等しい、単なる縞猫に過ぎなかったらしい」(「猫の墓」)

 気になったので、さらに調べてみると、漱石は熊本時代に、犬と猫を飼っていた。漱石夫妻と書生さんとお手伝いさんの四人の中に飼犬と飼猫が納まっている、熊本時代の写真が残されている」と漱石のお孫さんの半藤末利子さんが「夏目家の福猫」に書いている。

 ならば、熊本時代の飼猫が白黒の猫だった、というわけなのだろうか。飼い犬は、大きな犬で、熊本で生まれた長女・筆子を乗せた乳母車を引いて書生と一緒に散歩したのだと、「夏目家の福猫」に描かれているが、猫のことはこれ以上触れていない。

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  漱石は動物が好きだったようだ。はて、熊本時代の猫にも、名前はなかったのだろうか。