四迷に付いてきたノラ犬

 日記や書簡を頼りに、二葉亭四迷の猫の情報をさらに得られないか、と思った。

猫でなく、犬が出て来た。

 

 日付のない、伯父の後藤有常宛ての手紙の末に、発句が4つ添えられていて、

「愛犬を失ひて」と題して

その声のどこやらにして風寒し

 と、失った愛犬への思いを俳句にしていた。(「二葉亭書簡」昭和7年、尚徳堂叢書)

 

 この手紙は、結婚の報告なので、つねとの一度目の結婚(1893年)直後のものと推測されるという。当時四迷は小説の筆を折り、内閣官報局の官吏として、役所通い。英字新聞や露字新聞の翻訳の仕事をしていた。

 

 内田魯庵の回想記を頼りに、その愛犬を調べると、犬は家を出たまま行方知れずになっていた。

留守中、お客が来て格子を排けた途端に飛出し、何処へか逃げて了って夫(それ)切り帰らなかった」。(「おもひ出す人々」)

 

 魯庵によると、愛犬は四迷が仲猿楽町に住んでいた頃、「役所の帰途に随いて来た野良犬をズルズルベッタリに飼犬として了った」ものだという。

 犬は、「ポインターとブルテリヤの雑種」で、器量はよくなかったと魯庵は記している。狐のような容貌で、家族は嫌がったが、独り四迷は可愛がり、犬も四迷だけによくなついたという。四迷が役所に出ると、「留守中はションボリして時々悲しい声を出して鳴いてゐた」とも。

 

 四迷は、この犬への思い断ちがたいものがあったようだ。1907年、小説「平凡」でこの愛犬をモデルにした「ポチ」を登場させる。

悲しいにつけ、憶出すのは親の事…それにポチの事だ」「ポチは言ふ迄もなく犬だ!」「私に取っては、ポチは犬だが…犬以上だ。…第二の命だ。

 

 

 小説の犬は、主人公が子どもの頃に、家の玄関に彷徨ってきた生後一か月たたない小犬という設定になっている。両親の反対を押し切って飼った犬は、「育つに随れて、丸々と肥って可愛らしかったのが、身長(せい)に幅を取られて、ヒヨロ長くなり、面も甚くトギスになって、一寸狐のやうな犬になって了った」と、行方不明になった愛犬の狐のような風貌にしている。(トギスは、かまきりのこと)

 

 誰にでもなつく人懐っこい犬に成長したポチは、近所の犬たちと親しくなった。ポチの食器を狙って、首をつっこむ犬にも黙って食べさせてやるような犬になった。

 ところが、ある日。少年が学校から戻るとポチは居なくなっていた。近所に野良犬の捕獲員がやって来て、ポチも捕まったらしい。目撃によると、道端で寝て居たところ、鼻先を棒で叩かれて死んでしまったのだ。ポチは最後まで相手に尻尾を振っていたという。

 少年はポチがどこかで生きているのではないかと心の整理がつかず、悲嘆にくれるーといった内容だった(始めて読んだ)。

 

 魯庵は「仲猿楽町時代の飼犬の実話を書いたものである」としているが、どこまでが実話なのかは知れない。

 

 こうしてみると、四迷の飼猫に対する異常な可愛がり方は、この愛犬を失った心の傷が大きく影響しているのではないか、と思えて来た。

 

 魯庵によると、四迷は、猫のさかりの季節には、飼猫の相手を気にして、「酒屋の三毛は癖が悪いとか、桶屋の斑は悪相だとか、乾物屋の黒は毛並が良くないとか、頻りに近所の猫の噂をした」。

 猫が妊娠すると「親がドラ猫だらうが泥坊猫だらうが、大変な騒ぎだ。愈々産気づくと、行李の蓋かに何かに襤褸(ぼろ)を敷いて産褥を作ってやった

 子猫の「縁付け先が心配であった。鼠が暴れるから猫でも飼はうかといふやうな家には遣りたくない」と言い張る。ある時、貰い先がやっと決まったところ、四迷の猫愛を知っている魚屋が飛んで来て、「アスコの家の児供(こども)は評判の腕白ですからおやりになるのはお考へものです」と言ってきたという。

 

 遠い存在であった二葉亭四迷が、飼犬、飼い猫の話を知ると、なんだか、身近な人間に思えてくる。