休日に長男家族と多磨墓地、小平霊園へ墓参りにいった。道中、長男に「うちの猫がネコジャスリを気に入っている」と報告すると、あのプラスティック製のやすりは、猫のざらざらした舌を再現したものなので、猫は他の猫になめられているような気分になって気持ちがいいらしいという。
それなりの発想からうまれたグッズなのだった。
二葉亭四迷の愛犬について、その後さらなる情報を得た。単に、日記を見落としていただけなのだが、明治26年3月6日の鎌倉材木座村の奥野広記宛の手紙に詳しく記されていたのだった。(「二葉亭四迷全集 第7巻」65年、岩波書店)
名無しの愛猫と違って、犬にはマルという名があった。
「去る一月十七日正午ごろ愛犬マル人に窃まれて行方不知と相成候」。
小正月も過ぎたころ、マルが盗まれてしまったと、いの一番に奥野に書きだしている。
「それより月一杯牛込本郷ハ申迄もなく神田浅草上野等凡そ心当の方角といふ方角ハほとほと残る隅なく相尋ねそう候へども遂に不見当(みあたらず)」
四迷は、2週間にわたって、牛込―本郷―神田-浅草-上野と探し回ったのだった。今でいう新宿区-文京区-千代田区―台東区と4区を歩き回ったことになる。
秋葉原近くの和泉橋で、四迷は犬を見つける。が、違う犬だった。
「和泉橋辺にて似たる犬をみかけそれに物買ひて喰はせる時之心中御察可被下候」
その似た犬に、四迷は食べ物を買って与えたと記している。その時の心境を察してくれともー。
その時生まれた句が、「その声のどこやらにして風寒し」だったが、他に2句作っていた。
似た犬を見てもどる夜のさむさ哉
犬うせて世は木からしの吹くのみぞ
手紙によれば、マルは僅か9か月しか飼えなかったという。「その朝(1月17日)縁側にて抱き上げたるが遂に一生のわかれと相成候」「マルの事は終身忘るまじう被存候也」。
手紙には、おめでたも記していた。「一犬を失ひたる代りに一男を得申候」。2月28日に長男が誕生したのだった。
一般的には、手紙の書き出しは、マルではなく、長男誕生だろう、と私は思うのだが。
四迷はもちろん、長子の誕生を喜んでいる。
「家内中正月が再び来るやうの騒ぎに候へどもかかる間に身をおきながら尚ほマルがゐたならバといふ念は心の底にひそまり居候 誠にあやしき縁と申外有之まじう存候也」この幸せの中で、四迷はマルの不在を嘆いているのだ。
愛犬を探し歩いた半月の事を、「紀念のために書付けおき度存候へども俗事蝟集して未だ意に任せず候」という一節がある。
探索行を記念に書き残したいが、俗事で忙しくてままならぬ、ということらしい。結局それは、書き残されたのだろうか。私は、四迷についてはよく知らないので分からない。
四迷の愛猫探しのつもりが、愛犬のマル探しになってしまった。