トマス・グレイの猫哀歌

 弔いで猫に数珠を持たせた英文学者・福原麟太郎(1894-1981)は、トマス・グレイやチャールズ・ラムの日本への紹介で知られるが、このうちトマス・グレイ(18世紀の詩人・歴史家)についていえば、彼もまた、猫の詩を書いていた。

 私は知らなかったが、「愛猫を弔ううた」といって、よく知られた詩だという。副題は「金魚の鉢に溺れて死んだ猫の詩」。

 グレイの親友で愛猫家だったホレス・ウォルポール(小説家、政治家)の猫が亡くなったのを知って、1747年3月1日に詩を作って送ったのだ、と福原は記している。(トマス・グレイ「墓畔の哀歌」福原訳、岩波文庫、1958年)

 ウォルポールは猫を2匹飼っていたので、どちらの猫か分からなかったが、雌のトラ猫の「セリマ」だと推測して詩を作ったのだという。

 

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「背の高いかめのふちで起ったことだ('Twas on a lofty vase’s side)」と、英雄詩を擬した歌いだし。

 セリマの描写は次のようー

「尻尾が動くのは、心の喜びを現わしていた。/美しい丸い顔、雪白のあごひげ、/

ビロウドのような双の前足、/三毛にも敗けぬその毛並、/

まっ黒な耳、緑玉の眼を/彼女は見た、そして賞嘆の喉を鳴らした。」

 かめには、2匹の金魚が泳いでいたのだ。

「不運な美女は見ておどろいた。/先ず頬ひげ、それから爪と、/胸内にあまる願いのままに、/

獲物へ伸ばしてみたが届かぬ。/女心で、黄金を、軽んじるわけがない。/猫にして、魚の嫌いなものはない。」

 黄金と魚の2大好物、雌猫は目がくらんだのだ。なおも金魚に向かう猫。

「すべすべした縁に足をさらわれて、/まっさかさまに彼女は落ちた。」

9つの生命があると言い伝えられる猫ゆえ、なんとか8度水の上に頭を出したが、ついに助けが来なかった。

 最終連は、「美人のみなさんたち」への教訓話

「一たび足を踏み外せば、とりかえしがつかぬ、/大胆は良いが、用心ぶかくしてほしい。/

戸惑いする目を誘うものや/軽はずみの心を引く、すべてが正しい獲物ではない。/

輝くもの、すべてが黄金でないという。」

 

 この詩を受け取ったウォルポールはどんな反応だったのだろう。セリマへの哀悼というより、教訓がかっているのが、猫好きにはやや引っかかる。

 それはさておき、同じ英文学者でもあった夏目漱石の「吾輩は猫である」の名無し猫の最期も溺死だった。ビールを飲んで酔っ払ってしまい、甕に落ちてしまうストーリーだった。

「前足も、後足も、頭も尾も自然の力に任せて抵抗しない事にした。次第に楽になってくる。苦しいのだかありがたいのだか見当がつかない。水の中にいるのだか、座敷の上にいるのだか、判然しない。どこにどうしていても差支えはない。ただ楽である。否楽そのものすらも感じ得ない。日月を切り落し、天地を粉韲(ふんせい)して不可思議の太平に入る。吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。難有い難有い。」

 漱石は、主人公の猫の結末を考えたとき、トマス・グレイの「セルマ」を参考にしたのではなかったか、とふと思った。

 また、セリマも、最期は名無し猫同様、こんな境地だったと想像すると、少し救われる。