武芸の極意を伝授した猫

 

 猫にも「名人伝」があるとすると、この猫が第一候補なのだろうか。

 

 

 こんな話を最近知った。知られた話らしい。

 

 江戸時代、勝軒という剣術者の家に、大きな鼠が出て昼間から暴れた。鼠を部屋に閉じ込め、手飼いの猫を入れて退治することにした。鼠は予想外に強く、飼い猫は顔を齧られて逃げかえってきた。

 では、と近所の強者の猫数匹を借り集めた。鼠の部屋に入れると、鼠は部屋の隅に位置取り、猫が近づくと飛びかかる。その気迫が凄いので、他の猫たちは尻込みして挑まない。

 


 怒った剣術家は、自ら木刀で鼠を打とうとする。鼠は手元からすり抜け、宙を飛び、電光のような素早さ。戸障子唐紙が叩き破れただけだった。

 

 それではと、さらに無類と評判の猫を借りてこさせた。見れば、外見は利口そうでもなく、動きもきびきびとした様子はない。試しに、鼠を閉じ込めた部屋に入れると、鼠はすくんで動けず、猫は何ごともなく鼠をくわえて出て来た。

 

 江戸時代中期の戯作者で、下総関宿藩士佚斎樗山(いっさいちょざん、1659-1741)の「猫の妙術」(「田舎荘子」所収)は、剣術の秘伝書として今も武芸に関心のある人たちに読まれているのだという。

 

 


 この古猫に、若い猫たち、そして、勝軒も極意を伝授してもらおうと、話を聞くのだった。

 7尺の屏風を飛び越える黒猫には、技を磨くだけはダメだといい、気迫充溢した虎毛の大猫にも、それだけではダメ。相手の心を読んで一体となろうとする灰毛の猫にも不足と伝える。

「蓄へず倚らず、敵もなく我もなく物来るに随って応じて迹なきのみ」。気構えを整えたりせずに無心のまま、敵もなく我もない境地で、物事が起るのに自然に対応して、その痕跡も残さない、それが極意らしい。

 

 この話は、大正12年の「剣道の真諦」(堀正平)などに引用、紹介され広まり、今に至っている。

 

 佚斎樗山が仕えた関宿藩は、利根川と江戸川の分岐点にあり、利根川水運の要衝にあたる。今は野田市となり、同市では「猫の妙術杯剣道大会」が開催されている。

 野田市は、ますむらひろしの描く猫のヒデヨシなど「アタゴオルの猫」たちの舞台でもあるが、江戸時代はここで剣客猫たちが描かれていたのだった。