ねずみと「ぬ」の字

 平熱なのだが、訳あってクリスマス明けまで禁足状態になってしまったので、猫とまた自室で何かを考えて過ごすことにした。

 

 猫も関心を持つだろうから、落語「金閣寺」に出て来るネズミの絵について考えてみた。

 

 ある寺の小僧が、門前の花屋で≪実は私はただの小僧ではない、本当は和尚さんの子供だ≫と余計なおしゃべりしたのを、和尚に知られ裏庭の木に縛られてしまった、という噺。小僧は、ネズミの絵を描くと、ネズミが現れ、縄を齧って切ってくれるという話を思い出して、ネズミの絵を描こうとするが、描けない。代わりにネズミに似ている、ひらがなの「ぬ」を書くと、ネズミが出て来て縄を食いちぎったーというものだ。(関山和夫「落語風俗帳」、91年、白水社

 

 まず、ネズミの絵を描くと、ネズミが出て来る話はなになのか。すぐ分かった。歌舞伎に「祇園祭礼信仰記~金閣寺」という演目があり、足利将軍に叛旗を翻した松永大膳(久秀がモデル)が、雪舟の孫の雪姫に、天井に雪舟秘伝の「雲竜」の絵を描くか、自分のものになるか迫り、断った雪姫を庭の桜の木に縛る下りがあった。

 雪舟が寺で修業時代に師の僧に木に縛られたとき、流れる涙でネズミの絵を描くと、絵がネズミに変わって縄を食いちぎったということを、雪姫は思い出す。桜の花びらを足で掻き集め、つま先でネズミを描くと、ネズミが出て来て縄を食いちぎった。

 

 落語の小僧は、この歌舞伎を知っていたことになる。

「ぬ」の字は、たしかにネズミの姿に似ている。当時は、江戸の変体仮名が使われていたとすると、どんなものか、探して見た。

 こちらのほうが、「ぬ」よりももっとネズミの姿に近い。この落語の面目は、ネズミが「ぬ」に似ているという発見なのだろうが、当時の人はみなそう思って居たのかもしれない。

 



 江戸時代絵師の鍬形蕙斎「鳥獣略画式」の、ネズミの略式カットより、「ぬ」のほうが略式であるかもしれない。

 

 落語の方のオチは、「さすがダイコクに生ませた子じゃ」。

 和尚の奥さん=ダイコクさんと、ネズミを使いにする七福神の大黒天を懸け、しかも小僧が自分の子であることも認めている。

 

 脇でごろごろしている猫のために、ネズミの絵を描いて、ネズミを出してあげたいが、私は絵師でもなく、ダイコクの子でもないので、ちょっと無理のようだ。