落語「擬宝珠」と秘薬「文武丸」

 正月、NHKで上野の鈴本演芸場から中継があり、柳家喬太郎が「擬宝珠」の演目を早口で演じていた。あまりにおかしな話なので聴き入ってしまった。

 

 どうおかしいかというと、息子が元気がないので、心配した親が幼馴染に頼んで、理由を聞きだしてもらった。恋? みかん? と想像させたが、実は息子は金物を舐める趣味があり、橋の欄干の銅製の擬宝珠を色々となめてこっそり楽しんできたが、どうしても浅草寺五重塔の天辺の擬宝珠(本当は宝珠)を舐めたくなり、届かぬ思いに病に臥せってしまったというのだ。

 

 喬太郎創作落語と思ったところ、明治初めの落語で、喬太郎が掘り起こしたものだという。奇想天外なので、受け継がれなかったらしい。

 



 驚いたことには、原作は江戸中期の戯作者小松屋百亀の小噺集「聞上手」(安永2年刊行)収録の「かなもの」なのだという。探して見た。

或人金物を好いて舐める病あり。さまざまの金物を舐めて楽みけるがいまだ塔の上なる玉をなめて見ず。何とぞ浅草の五重の塔の上にある擬宝珠を舐めて見たい望」を持って居た。

やうやう手筋をもとめて浅草のお別当様へ申しこみ願ひの通り五重の塔の足代をかけさせ、てっぺんのぎぼうしゅを舐めて見、多年の望み達したりと悦びける

 

 落語では、両親が話をつけて息子の夢をかなえさせるが、原作では主人公が自力で念願を果たすのだった。

「どのようなものだね」と擬宝珠の味を聞かれ、「思うた程にもござりませぬ。橋の擬宝珠に塩けのないものさ」と〆ている。

 

 落語の方は、「沢庵の味がしました。よほど塩がきいておりました」「塩は三升か、四升か、五升か」「なあに、上は六升(緑青)の味がしました」。

 

 現在の浅草寺五重塔は、昭和20年に戦災で焼失し再建されたものなので、百亀の話に出て来る塔は、焼ける前の徳川家光が慶安元年(1648)に再建したものということになる。高さは現在の45.9mより低い33m余だったらしい。

 

 春画もよくする浮世絵師の百亀は「元飯田町中坂にすめる薬店、剃髪して百亀といふ」と大田南畝が「奴凧」で記していた。「文武丸といへる丸薬は、小松屋の秘方なり、老人など大便秘結するによろし、委くは予が板下にかける攻能書にみゆ」。

 小噺集の「聞上手」とともに、便秘薬「文武丸」もよく売れたという。喬太郎のおかけで、正月早々、江戸時代の面白い人物を見つけることが出来た。