百亀の小噺に出てくる銀の猫

 偶然聞いた落語で興味を持った小松屋百亀(1720-1794)について、さらに調べて見た。

「擬宝珠」の原形の小噺が収録された「聞上手」の直後、続編の「聞童子」(安永4=1775)が刊行されていたことを知り、こちらも目を通した。

 落語「一目上がり」の原形の「掛物」があり、落語「どくどく」に似た「仕掛」があった。落語に大きな影響を与えた戯作者であることがよく分かった。

「掛物」は、ある所で、掛物の書き付けを「賛」と言われ、次の所で「詩」と言われ、またその次で「語」と言われ、ならば次の所で「六か」と聞くと「質でござる」と言われる。三、四、五と数が上がって行く「一目上がり」さながらである。

 

「仕掛」は、九尺店(狭い裏長屋)に越してきた男が、道具がなにもないのは見てくれが悪いと、絵心に任せて箪笥、押入れ、持仏堂、ほうきと芝居の書き割りのように書いたところ、泥棒がやってくる。必死になっても箪笥があかない、押入れも開かない。目を覚ました男が泥棒に、芝居を見た事ないのかー。

 落語「どくどく」の「槍で刺したつもり」「血がどくどく流れたつもり」のその後のやり取りはないが、シチュエーションは全く同じである。

 

「聞童子」に「猫」という小噺があった。

「馴染に銀の猫をねだられて、飾屋へ相談したれば、大分高いものゆへ、やき付に拵らへさせて、持って行き遣りければ、女郎悦び手に取り、鼻の先を畳でこすって見、ヲこれは無垢(純銀)ではない。これ見なんし赤くなりんす。無垢にしてくんなんしといふたに憎らしいといへば、『サレバ誂らへて見たが、犬にはむくがあれど、猫にむくといふはない』」

 

 銀製の猫が、1775年頃、花街では人気の商品だったと伺わせる話だった。浮世絵では、猫は花魁によって赤い首輪をつけられて飼われていたことが知れるが、この小噺では、銀製の猫の人形をほしがる女郎、高いのでメッキでごまかす常連客の、やりとりが描かれている。無垢(純銀)かどうか、畳にこすって確かめる女のしたたかさ、責められて「むく犬はいるが、むく猫はいない」とごまかそうとする男。

 

 

 西行の銀猫が登場する黄表紙「人間万事西行猫」の刊行が1790年。その15年前に銀の猫が花街では取りざたされていたことになる。

 西行の銀猫=上図=を描いた長谷川雪旦(1778-1843)もこの時生まれていない。

 江戸時代の銀猫探しは、まだまだ終わっていないことに気づかされた。