画から飛び出さない也有の猫

 江戸時代、動物を描いた画の褒め方に、絵から飛び出て本物の動物に変わるというパターンがあったようだ。

 

雨月物語」(1776年刊)には、三井寺の僧興義が臨終に際して、紙に書いた鯉の絵を琵琶湖に散らすと、鯉が泳ぎ出した、という話(夢応の鯉魚)が出てくる。

 

 落語の「抜け雀」は作られた時期は不明だが、旅籠に泊まった絵師が襖に描いた雀たちが朝になると、本物の雀になって飛び回るというものだ。

 

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 江戸時代の尾張俳人横井也有(1702-1783)の「うづら衣」を読み、猫の絵について書かれた一篇「猫自画賛」を見つけた。それに関連する記述があった。

 

「昔し金岡が書たる萩の戸の馬はよるよる萩を喰あらしたるとか」

 

平安時代、画家巨勢金岡が描いた京都御所清涼殿の萩の戸の馬は、夜な夜な絵から抜け出て萩を食い荒らしたという≫

 

「古今著聞集」(13世紀前半)に収録されている絵師金岡の説話のことだった。同集には、清涼殿の話のほか、金岡が仁和寺御室に描いた馬の話も掲載されていて、やはり絵から抜け出して、近辺の田を食い散らかした話が掲載されている。

 

 金岡の話がもとになって、別の絵師にも当てはめて、江戸時代に流布したのだろう。京都の光清寺弁天堂の絵馬の猫は、夜な夜な抜け出して三味線に合わせて踊ったとか、修学院の中離宮の板戸の鯉の絵=写真=が夜になると庭の池で泳ぐので、円山応挙が網を書き足して防いだとか、いまでも伝説が沢山残って居る。

 

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「猫自画賛」に戻ると、俳人の也有は、こんなうまい絵は困るはずという。

≪もし能書の筆で、四条河原の涼みの図、清水寺の花見の景など人出で賑わう屏風襖絵を描かれたら、あまたの人が夜ごと出て来て、飲み食いする。その経費が続かなくなりますよ≫

 

 也有は、棚の上の小襖に何か描いてほしいと頼まれて、鼠除けの猫を描いたのだった。もちろん、絵から猫が飛び出す心配はない。だが、猫だと分かってもらえるかと心配する。

 

つたない筆の虎を描いては必猫なりとわらはるればわれ又猫をうつさば虎にも似るべきを杓子には小さく耳かきには大きいと柿の木の昔話ならん

 

 虎を描くと猫だと笑われる、それなら猫を写生すれば虎に似るかといえば、柿の木の昔話にあるように、杓子には小さく、耳かきには大きい中途半端な、虎でもなく猫でもないものが出来てしまう。

 

≪しかし、鼠にも賢愚いろいろで、大黒天の使いの賢い白鼠は、私の絵を相手にしないだろうが、心が鬼のような悪い鼠は、落ち武者が薄の穂の揺れを見て人ではないかと恐れるように、こんな私の絵でも猫だと思って震えて見てくれるだろう≫と、自作の猫の絵に期待する。

 

 締めくくりは、牡丹(廿日草)と廿日鼠をかけた駄洒落で、あまり面白くないので略。

f:id:motobei:20211222184547j:plain也有(尾張藩重臣だった)

 

 動物が絵から飛び出す話は、中国が源流なのだろうか。黄鶴楼の仙人の話を思い出した。仙人は、ただで飲ませてくれる酒屋に感謝して壁に鶴の絵を描く。鶴は飛び出して舞い、酒屋は名所となって繁盛した。やがて仙人はこの鶴に乗って飛び去ってしまった。

 年代のはっきりしているものは、10世紀末、宋の「太平広記」に描かれた驢馬の絵。絵師が、寺僧の態度が悪かったことに腹を立て、寺の壁に驢馬の絵を描いて立ち去る。夜になると、驢馬は絵を飛び出し、寺堂に入って大暴れする。

 黄鶴楼の鶴は「抜け雀」に通じ、驢馬の絵は、金岡の馬に通ずるように見える。

 

 私には、俳人也有の猫の絵がどんなものだったか大変興味深い。

 

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鼠を探す我が家の猫