うちの猫は、食事中テーブルに飛び乗ってくることがある。細は、叫び声をあげるが、猫は堂々としていて、尻を押しても、踏ん張って降りようとしない。私が注意して下ろすと、床でケロッとしている。「貴方が甘やかすから、こんな猫になってしまったのだ」と細。
息子が来て、食事中ではないがテーブルに乗っている猫を見て、仰天していた。
やはり、私が甘いのだろうか。
江戸時代の俳人大伴大江丸の「俳懺悔」に、京阪で活動した俳人松木淡々(1674-1761)の逸話が紹介されていた。淡々が猫と一緒に食事をしていたのを、門人が見て注意した話だ。
「淡々、猫を飼けるに、我喰けるめし夜菜などを我箸に分遣し、膳の脇にてくはせけり」
江戸時代にはもちろんテーブルはなく、畳の上に、脚のついた膳を置き、食事をしていた。淡々は膳の横に猫を坐らせ、御飯やおかずを分け与えていたのだった。
「門人の曰。先生餘りなる不行跡の飼せられやう也。猫のくせあしく成候半と……」
門人は、目に余るひどい飼い方です。猫に悪い癖をつけてしまいます、と意見した。
淡々の言い訳は、こうだ。
≪私も初めの二、三匹まで行儀をしつけて、首輪の鈴なども綺麗にして、食べ物も賄の女性に頼んでいたが、だれかに盗まれてしまい、十日と家にいなかった。美しく飼われている猫は人が欲しがるものだ。この猫は、こんな育て方のため、一、二度盗まれたが行儀が悪いと追い返され戻って来た≫
猫を盗まれないように、行儀を教えずに育てている、という屁理屈だ。師匠の説明が続く。
≪猫は所詮鼠が書物を荒らすのを防ぐ役目が一番と考えるなら、その他のことには構わず、鼠の監視の役割に目を向けなければならない≫
「俳諧も又かくのごとし。ここが眼字、それが其題の専という事を見さだめたし」
猫を飼う本来の目的を忘れないことは、句会の「題」についても同じことで、その題のかなめ、ポイントを見定めないといけないのだ、と結論している。
猫と食事する様を弟子に注意された話が、猫を飼う目的に変わり、句題に対する秘訣伝授となるのだった。
文芸辞典などを見ると、淡々の文学的評価は、低いようだ。大坂出身で、上京して其角らに学んだが、京都で多くの弟子を抱える俳人を見て、自身も京の洛東に庵を構え、大量の弟子を集めることに成功した。弟子たちから集めた財などで、豪奢な生活を送り、大坂に移った。作品は俗臭があり、経営の才能だけが認められる、といった風だ。
「俳懺悔」には、他にも淡々の話が掲載されていた。
「淡々曰。詩は長刀、和歌は刀、連歌はわきざし、俳諧は懐剣也。こころ切におもひつむれば、其利事はやく始皇の胸先をさすにいたる。刃長くば其所にいたりがたらむか」
詩は長刀
和歌は刀
俳諧は懐剣
刀に例えれば、短詩型文学のなかで最も短い俳句は懐剣に相当する。
匕首をもって、始皇帝の暗殺を謀った刺客・荊軻の例があるように、懐剣ならば素早く始皇を胸先で刺そうとすることが出来る。(実際は、逃れた始皇が長剣を抜いて、荊軻を殺したのだが)
そして、結論ー。
≪私は、昔、恋という題を与えられ、
夏痩と問はれて袖のなみだ哉
、といひけむも、即懐剣の切味なり≫
私はかつて、句題に恋が出た時、夏痩せかと聞かれた女性の袖に浸みている涙の句を作って、恋を描いたものだ、懐剣の切れ味のように、胸にぐさっとくるだろう―。
淡々は、自句を自賛している。
句はまずいし、切れ味もないのだが、この論法が大衆受けしたのだろうと、想像できる。俳句より屁理屈が面白いのだ。
大江丸は、自句ばかりか、江戸時代の俳人たちの人柄が伺える逸話を「俳懺悔」で多数記していた。
大江丸
で、猫はどうしたらいいのか、鼠を捕る役目のない我が家の猫の、本質的な役割はなにか。家族の一員?。それなら、淡々のように一緒に食事したほうがいいような気がしてくる。