ミサゴずしと和蘭陀人ヅーフ

 前に、松原さんという鷹匠が、魚を捕る鷹、ミサゴと出くわして、驚いたミサゴが咥えていたクロダイを磯に落としてしまい、松原さんが刺身にしておいしく食べた話を紹介した。

 みさごずし、という言葉があるのを最近知った。ミサゴが捕って岩陰などに置いた魚が、海水がかかって発酵し鮓のようになったものだという。みさごは、よくよく獲った魚を地面に落としてしまうようだ。

 それを待ち受ける鳥が、信天翁アホウドリ)。「和漢三才図会」には、信天翁は魚が獲れないので、ミサゴの落とす魚を浜辺で待って拾って食べる、と記されている。実際は違うのだろうが、江戸時代までそう思われていたのだった。

 

 仙台の俳諧師、大屋士由が撰んだ文化13年刊行の発句集に「美佐古鮓」(みさごずし)がある。序文で、自分は信天翁で、ミサゴの落した発句を拾い集めて、本にしたと書いている。当時、みさごずしやら、アホウドリのことは一般に知られていたことが分かる。

 驚くべきは、この「美佐古鮓」に、和蘭陀人のヘンデレキ・ヅーフが跋文を書いていることだ。

 爰ノ浦の久松熊十郎ノ曰ク、ミサゴト云フ鳥、石間ニ鮓ヲ貯フ、其味ヒハナハダ佳ナリト、今仙台ノ士由ガツケタスシモ、ナンボウウマカベイヤ、一ヒラ食ウテ見タイモノジャト、瓊ノ浦ノ旅ノ舎(やど)リニテ和蘭陀人 

                       ヘンデレキ ヅーフ跋ス 

 千八百十六年四月十三日

 

 みさご鮓が美味いのはここの浜の久松熊十郎に聞いて知って居る、仙台で士由が漬けた俳句の鮓も、なんぼうまかべいや、ひとつ食ってみたいものだ、と方言を交えて書いているのだった。

 

 瓊ノ浦は、長崎のこと。出島商館の甲比丹だったヅーフは、自らを「瓊ノ浦ノ旅ノ舎(やど)リの和蘭陀人」と記した。18年間英船、露船の長崎来航の危機にも対処して出島商館を守ったことで、和蘭陀国王から名誉の勲章を得、幕府からも銀五十枚を贈られ表彰されたこの人物は、翌年11月長崎を発っている。帰国前年に、仙台の俳諧師に「跋文」を送ったのだった。

 


 この集に収められた一句が、前に紹介した「春風やアマコト走る帆かけ船 和蘭陀人」。

 この句の後に、

あまこととはあれこれという事じゃといふておこす」と、方言を交えて記されており、この句はヅーフの作品で間違えないようだ。

 

 前に記したヅーフの「稲妻のかいなを仮らん草枕」の句は、士由と交流のあった白川芝山の「四海句双紙」に掲載されていて、「Inadsma no kaijna wo karan koesa makoera.」の後に、

これは京祇園二軒茶屋にて女の豆腐きるを見て其手元のはやきを感じてしける句なり」と記されてあるのも、今回分かった。(藤井乙男「俳人外の俳人」昭和18年「史話俳壇」収録)

 京都八坂神社の表参道にあった二軒の茶屋は、「二軒茶屋」と呼ばれ、人気メニューが田楽豆腐。それを調理する模様を見せ、京の名物になったという。(中村楼HP)

 ヅーフは、京都で、田楽豆腐の豆腐を素早く切る女性を見て感心して句にしたのだった。

 

 そうなると、句の滑稽味がわいてくる。旅先の枕に、あの素早い動きの女性の腕をかりたいものだ(でも、はげしい動きで、頭が振動して眠れないよ)、つまり冗談を言って、挨拶の句としているのだった。

 

 蘭日の辞書を作り、日本人学者に蘭学を伝えたヅーフは、俳諧の滑稽味も習得した大した人物のように思えて来た。