吏登の暑苦しい句

 京都の知人らと夜、久しぶりに事務所近くの店で食事した。夏の暑さで知られる京都からやって来た知人は、「東京は暑い。京都より暑い」と、連日の猛暑日が続いている6月末の東京の暑さに唸っていた。

 

 

 最近、「人はどういふ場合に炎熱を感ずるか」と、江戸時代の俳句を通して探った国文学者藤井乙男の文章に出くわした(「炎凉一味」=「史話俳談」昭和18年、晃文社=所収)

 

 たとえば、寝苦しい暑さを描いた句の比較。横井也有の句と、桜井吏登の句を並べている。

 

A 「福者(こぶくしゃ)といはれて蚊屋のあつさかな」(也有)

B 「角力取と並んで寝たる暑さかな」(吏登)

 

 A 我が子らと「卍巴に入り乱れてころがって居る蚊帳の内」と、

 B「小山のやうな大男のそば」とどちらが寝苦しく暑さを感じるであろうかと。

 

 たしかに一昔前まで、子沢山の家が多く、蚊帳のなかで一緒に寝て居たものだ。

 角力取の脇で寝たことはないが、若いころ、柔道家の大男の上司と社内旅行で同室になったことがあり、彼の大いびきで眠れなかった記憶がある。相撲取の寝姿は汗まみれだろうし、いびきも聞こえてきそうである。私には、Bがより暑く感じられる。

 

 江戸と違って、令和ともなると状況は一変していると、つくづく思う。

 A 子福者が減った。会食したもう一人の知人は、政治にかかわるバリバリの働き手で「コロナ禍のリモート勤務で家庭での時間が増え、出生率が上がると期待していたが、前年比3.5%減。経済的な先行き不安で子どもを産めない状況が続いている」と深刻に話していた。

 B 角力取も暑苦しくなくなった。7月の大相撲名古屋場所二所ノ関部屋の宿舎は、サウナ、水風呂用浴槽完備とのニュースが流れた。安城市の住宅展示場が提供したもので、2面の土俵、2階には大部屋と4つの個室があるとのこと。新築された茨城・阿見の同部屋ともども、力士の環境は様変わりしている。

 

 私は、Bの作者の桜井吏登(さくらい・りとう、1681―1755)を知らなかった。「俳人桜井吏登の貧乏も、有名なものであった」(山田仁平「奇人奇話」大正15年、忠誠社)とあり、相当貧乏だったらしい。

 蕉門の服部嵐雪の高弟で、欲のない清貧の俳人だったという。老後に住んだ深川の庵は2畳一間きりだった。

机を置き、書物を積むと殆んど膝を容れる余地もなかった。偶(たまた)ま客があって、対談の折など、後から来た者は、入ることが出来ない」(「奇人奇話」)ので、外で待っていたという。

 俳句にも執着のない人で、年来記しておいた句稿を火にくべてしまい、「人間万事、皆これぢゃ。すべてが灰になり、烟になる」と語った逸話も残る、興味深い御仁だった。

 こんな断捨離の境地の俳人が「角力取と並んで寝たる暑さかな」の句を作っていたのだ。

 二畳の庵にもし角力取がやって来たら、並んで寝るどころか、庵の中にも入れないのではないか、と勝手な想像が膨らみ、なんだかこの俳諧師に涼風を感じる心持ちになった。