恒友装幀本の下弦の月

 天明期の俳人大伴大江丸の句集を読みたいと思い、探すと見つからず、「俳懺悔」を収録した昭和3年刊の「日本名著全集 江戸文芸之部 第27巻 俳句俳文集」(日本名著全集刊行会)まで遡らないとないことが分かった。

 

 注文した本が、四国の古書肆から届き、包を開けると、コンパクト判(112×174㍉、小B6判ともいうらしい)のサイズで、1200頁あった。いっぺんで気に入る装幀だった。

 

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 表紙には、金の輝きが充分残った月と柳の絵。

 なんと、これまで追いかけて来た画家森田恒友の作品だった。見返しには、水郷のスケッチ。思いがけない恒友作品との「出会い」にうれしくなった。

 

 函には、烏2羽を従えた怪鳥の可愛らしいイラストが印刷されていて、こちらは小杉未醒作で全31巻を通した装幀のイラストだった。全集本の装幀を小杉が請け負って、各巻は仲間の恒友ら画家たちに振り分けて依頼したのではないか、と想像した。

 

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 恒友の表紙の月は、下弦の半月だ。

 

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 気になって、恒友の月の絵をさがすと、大正15年11月に発表された「秋郊雑画稿」の「月」も下弦の半月だった。さらに同年「半月」(東京国立近代美術館蔵)の代表的な水郷を描いた作品も下弦の半月だった。

 

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 下弦の半月は、夜遅くなって東の空に現れ、朝方南中して、昼頃西に沈むのだった。だから、下弦の半月には、夕月も、浅い夜の月もない。

 深更の月、明け方の月、昼の月に限られるのだった。

 

「秋郊雑画稿」の「月」には、

「月の下、岸邊の葦の中に、ぽつりぽつりと點ぜられる屋根舟の中に、めそ捕りの親父が寝て居る。サッパ舟の親父、通りすがりに「居るけい」と声をかける。「おーォ」と返事が聞える。」

 と恒友の文章が添えられている。

 

 めそは、しらすうなぎの稚魚で、夜釣りの対象だ。この絵は、深更、あるいは未明にかけての水郷の光景と推測される。屋根舟には、夜釣りを前に、あるいは終えて、親父が仮眠していたのだろう。(サッパ舟は、笹舟のような小型の舟)。

 

 恒友は、深夜、未明にも、野外にスケッチに出かけていたことが伺われる。

 

 見返しの絵は大きな満月(左ページ上)で、川面も明るく輝いているのだろう。

「河畔秋月」は「満月もよし、半月もよく、弦月亦惡しからず」と恒友は書いている。

 半月と弦月を区別しているのは、訳があるのだろうか。恒友流の解釈がありそうだ。

 

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 月と言えば松だが、表紙絵に、柳を択んだ絵柄も面白く、大江丸にたどり着くまで、随分寄り道をしてしまった。