森田恒友周辺

恒友装幀本の下弦の月

天明期の俳人大伴大江丸の句集を読みたいと思い、探すと見つからず、「俳懺悔」を収録した昭和3年刊の「日本名著全集 江戸文芸之部 第27巻 俳句俳文集」(日本名著全集刊行会)まで遡らないとないことが分かった。 注文した本が、四国の古書肆から届き、…

「土」とカボチャの雌花

盆の休みを家で過ごす。夕方、近くの川沿いを歩くと、オシロイバナが道端に咲いていた。黒い実もなっている。私は都内で育ったが、オシロイバナが咲くころ、子供たちはこの実を集めて数を競った。さらに、実を爪で割って中の白い粉を集め、鼻に白い線を塗っ…

蛙の装幀

五輪女子ボクシングで金メダルを獲った日本の大学生が、「カエル」が好きだというので興味を覚えた。 長塚節「土」を調べていて、昭和16年に改版された春陽堂の単行本の表紙が「蛙」の絵に変わったのに気づいたところだった。装幀、絵は平福百穂とも縁のあ…

オダマキと枇杷

日本画の平福百穂が描いた、長塚節「土」(明治45年、春陽堂)の扉絵の、紫の花を、細に見せた。開口一番「オダマキ!」。意外な答えが返ってきた。 WEBでチェックすると、オダマキに見えないこともない。 日本に生息するオダマキは、ミヤマオダマキ、…

「土」の装幀をめぐって

長塚節「土」の復刻版を古書肆から取り寄せた。明治45年の春陽堂の箱入り菊版上製を、1984年に復刻したものだ。目に付いたのはー。 美しい装幀 色違い(代赭色)でより大きな活字で組まれた夏目漱石の序 装幀のイメージとは全く違う、延々と続く茨城の…

魚藤の「李白一斗酒詩百篇」

取手の川魚料理の魚藤は、地元の水墨画家の小川芋銭ばかりか、春陽会の画家たちが好んで集まるいい店だったようだ。 店での画家たちの集まりには、船頭の総元締の刀水漁郎のほか、説教節を歌う染太夫が同席することがあった。染太夫については詳しく分からな…

芋銭泊雲の書簡集に描かれた恒友

俳人西山泊雲の生家の丹波の西山酒造場が、泊雲と小川芋銭の大正5年から昭和13年の手紙のやり取りを立派な本にしていたことを知り、慌てて連絡した。「芋銭泊雲来往書簡集」。3年前の発行だったが、在庫があるというので取り寄せた。 2人の書簡には、共…

刀水漁郎と木槿の花

画家森田恒友にゆかりのある人の話を続ける。 水墨画家の小川芋銭は、自然の残る茨城県取手で暮らし、利根川の向こう岸に住む、漁師の宮文助の人柄を愛した。文助も芋銭を尊敬し、揮毫をねだって、地元の連中に配った。 芋銭の仲間の森田恒友、小杉放菴も文…

五輪騒ぎの中の恒友

画家の森田恒友が千葉医大(現千葉大)に入院したのは、昭和7年の12月。仲間たちには年が明けた正月に連絡をした。 一番で見舞いに駆けつけたのが、小杉放菴、木村荘八、中川一政の春陽会の仲間と、画廊琅玕洞の林氏(數之助か)の4人だったことが、恒友…

恒友の墓を探して

土曜日に、息子一家と墓参りに出かけた。息子の運転で、いつも通り多磨霊園から小平霊園とハシゴする。今回は、多磨霊園のなかで寄り道してもらった。 18区で細の実家の墓掃除をしてから、13区へ回ってもらったのだ。道は行き止まりが多く、やっと到着し…

吉祥寺の健脚版画家

正福寺地蔵堂が掲載されていた「武蔵野1956年春号」には、東京・吉祥寺で暮らしていた版画家・織田一麿への追悼文が、考古学者後藤守一によって綴られていた。同誌の発行者の後藤が、織田に随筆を依頼に行き、豊富な話題に引き込まれた思い出や、奥多摩…

店仕舞いの古書肆と熊楠と

4月末で店仕舞いをする本郷三丁目の古本店に、昼休みに出かけてみた。閉店割引セールのせいか、お客さんがいつもより多い。 目当ての本は、売れていた。 この前ここで見つけた画家中川一政のエッセイ「山の宿」が、大変いい文章だったので、また中川一政の…

宣戦布告日の伯林と巴里

大正3年6月10日、画家森田恒友がパリに到着して、50日ほど経ったとき、ドイツが宣戦布告。フランスは第一次世界大戦に突入する。パリで仲間の画家たちと連日美術館、展覧会を巡り、先輩画家の山本鼎と郊外の短期旅行に出て、最初の1か月を過ごした森…

恒友の巴里通信

古本店で見つけた歌誌「多摩」をきっかけに、美術家としての北原白秋に興味を持ったが、調べてみると、版画美術に情熱を燃やす「方寸」の若き集団と、明治末から大正時代にかけて、強いつながりがあったことが分かった。 スバル系の詩人と美術家が交流した明…

幻に終わったセーヌ河岸の共同生活

猫が騒いで、本棚の天辺から物を落とす。紙箱が落ちて、マッチが散乱した。懐かしいものが沢山出てきた。 金色と茶のマッチは、ただ一度だけ訪問したパリ宿泊先ホテルの思い出深いものだ。ホテル創立100年にあたる1978年だったのだな。42年も経って…

パリから白秋への激励はがき

画家の森田恒友がパリに到着した大正3年、第一次世界大戦が勃発した。戦時下のパリでは、親友の画家山本鼎が待ち構えていた。版画同人誌「方寸」の仲間たちは、石井柏亭を皮切りに、次々に留学したが、森田はとんでもない時期の渡欧となった。 この時山本は…

森田恒友と喜田貞吉をつなぐ薄田泣菫

明治末から大正、昭和初期と、歴史家喜田貞吉が編集で腕をふるった学術誌「歴史地理」の表紙やカットを、画家で版画家の森田恒友が担当していたのではないか。その仮説で、何年も書いてきた。 森田らが創刊した版画誌「方寸」掲載作など森田の初期の作品に、…

恒友展を待ちながら武内桂舟の猫に出くわす

画家の森田恒友の展覧会が2-3月に埼玉県立近代美術館で開かれるというので楽しみにしていたのだが、コロナウイルスのため、美術館が閉鎖されてしまい、このまま終了してしまいそうだ。2月匆々に見に行けばよかったと後悔している。 恒友には、セザンヌ、…

1冊の古本から恒友と龍蔵に辿り着く

そんなことで、画家森田恒友と鹿島龍蔵氏のつながりをさらに調べるとー。 国立近代美術館に収蔵されている森田作品20点(油彩、日本画、素描、墨絵淡彩の画帳)は、すべて龍蔵氏の子息(父といっしょに震災後の町を歩いた次郎氏)が、昭和30年に寄贈した…

きっかけは龍蔵蔵書

仕事場の近所、神保町の古本店に立ち寄って、2冊ほど書籍を購入した際、 「それは、鹿島龍蔵さんの蔵書だったんですよ」とご主人が話しかけてきた。 話によると、書庫の蔵ごと手に入れたらしい。平積みしてある「工藝」など、店内には同氏の蔵書がたくさん…

恒友、泊雲の松茸狩

細が入院する病院に通いながら、高円寺の古本屋で見つけた森田恒友の「画生活より」を読んだ。恒友は、今まで幾度か触れてきた大正、昭和初期の画家で版画家だ。 パリ留学したのはいいが、第一次大戦下のパリに到着。緊迫する戦況の中、心酔するセザンヌの郷…

大正時代「雀おどり」のイラスト

洋画家で版画家の森田恒友が、大正時代に表紙、挿絵にかかわったと思われる学術誌「歴史地理」。前にこのことは幾度か書いているが、大正6年第2号で興味深いカットを見つけた。 笠を被って、3人が踊っている。両腕を前に突き出したり、前屈したり、両腕、…

森田恒友と大正の「歴史地理」再び

大正時代の学術誌「歴史地理」(大正5年)の表紙や挿絵に、画家で版画家の森田恒友が関わっていたー。と、以前に書いたが、そのまま打っちゃっていた。 翌6年7月の第30巻第1号を手にいれた。森田画伯のものと思しき、同じサインが刷られていた。 同人…

大正時代、京都の気になる挿絵画家

前に書いたけれど、大正時代の始めに発行された「歴史地理」は、著名な画家であり版画家であった森田恒友が表紙やカットを飾る洒落た学術誌だった。 東京に、ひと足遅れて、京都で発行された似た名前の学術誌「歴史と地理」も、デフォルメしたエジプト壁画を…

英国テニスの椿事から、大正期の名もない編集者のことなど

WOWOWのウインブルトン・テニスの中継を深夜遅くまでみて、寝不足の毎日だ。 英会話のスチュワート先生はロンドン育ち。ハイスクール時代に、マッケンローとゲルレイティスにサインをもらったことがあるという。ウインブルドン前哨戦として、芝のロンド…

なぞの、猫好き版画家は、森田恒友かあ

大正5年の「歴史地理」に掲載された、 この版画の作者さがしをつづけてみた。 明治末から大正にかけて、創作版画のうごきがあったので、 似た雰囲気のものをさがしてみたところ、 明治40年(1907年)に創刊された、同人誌「方寸」にでくわした。 山…

大正時代の学術誌に登場する猫

なんで猫なのだろう。 大正5年9月発行の、学術誌「歴史地理」の質問コーナー「問答」に 猫の木版画のカットがあった。 後ろ姿。長い尻尾は、左にまげている。 「織田信長研究に要する書目を示されんことを乞ふ」という質問に、 そぐわない大きな猫のカッ…