和歌短歌

柳亭種彦の「草より出でて」の考証

「武蔵野は月の入るべき山もなし草より出でて草にこそ入れ」 この歌は、和歌ではなく室町時代に作られた俳諧連歌ではないか、と江戸時代後期の戯作者柳亭種彦が鋭い指摘をしている。 「用捨箱」(天保12年、1841刊)という考証随筆集で「俳諧の句を狂…

月の出づべき山もなし 

遊びに来た3歳の孫娘と屋上で皆既月食を見た。双眼鏡でうまく月が見られなかったせいもあってか、飽きてしまい「かくれんぼしよう」といってぱたぱたと屋上を走り回る。月が全部隠れたと伝えると、「お月さんが可哀そう」といってまた走り出した。 皆既食は…

秋櫻子と川田順の「との曇り」

洋画家船川未乾が装幀した歌人川田順の歌集「山海経」(大正11年三版、東雲堂書店)をあらためて手にした。川田の大和路の歌を読んで、なにか似た世界を思い起こした。俳人水原秋櫻子の昭和初期の句だ。 秋篠寺 あきしのの南大門の樹(こ)の下は蛇も棲む…

未乾画伯の装幀本と鯖姿寿司

京都の洋画家・船川未乾(ふなかわ・みかん、1886-1930)装幀の古書が届いた。 大正10年に刊行された川田順の歌集「陽炎(かげろう)」。大分色あせている。 昭和4年に改訂される前のもので、表紙が桃色のグラデーション、裏表紙が水浅葱。裏表で…

「土」の装幀をめぐって

長塚節「土」の復刻版を古書肆から取り寄せた。明治45年の春陽堂の箱入り菊版上製を、1984年に復刻したものだ。目に付いたのはー。 美しい装幀 色違い(代赭色)でより大きな活字で組まれた夏目漱石の序 装幀のイメージとは全く違う、延々と続く茨城の…

白秋の「群蝶の舞」

「多磨」は、白秋没後11年経って、終刊(昭和28年)となる。没後、編集人の名義は妻のキク(菊子)だが、編集担当は中村正爾、木俣修らの歌人が代わって行ったようだ。 昭和23年の1月号からは、木俣修から泉甲二に変わったのが、同号の「月報」で分かる。「…

白秋の絵と大正4年「雲母集」

北原白秋の墓は、多磨霊園にある。年2度の細の実家の墓参りで、周りの区画を歩いていて白秋の墓に出くわした。随分と大きな目立つ墓だった。 白秋は晩年、杉並・阿佐ヶ谷で暮らしていたようだ。白秋が発行していた短歌雑誌「多磨」。Y書房で手に入れた「多…

神保町散策と白秋の美術

神田神保町界隈を散策する。コロナ騒動の見舞いがてら、古本店Yに顔を出す。若きご主人は、「もう、土日は正月のようですね」という。近くの高層ビルで働く連中もテレワークで、通勤しなくなったよし。確かに人影はまばら。商売の方は?「ネット販売で凌い…

沼はカモで賑やかだ

近所の池も鴨で賑やかになった。 今年も、キンクロハジロが数で優勢を誇っている。 第二党のオナガガモは激減、マガモは、コガモ、オシドリとともに少数派に転じて久しい。 「鴨の羽の色」といえば、万葉集以来、「青」の例えとなっているから、鴨といえば、…