「多磨」は、白秋没後11年経って、終刊(昭和28年)となる。没後、編集人の名義は妻のキク(菊子)だが、編集担当は中村正爾、木俣修らの歌人が代わって行ったようだ。 昭和23年の1月号からは、木俣修から泉甲二に変わったのが、同号の「月報」で分かる。「…
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