店仕舞いの古書肆と熊楠と

 4月末で店仕舞いをする本郷三丁目の古本店に、昼休みに出かけてみた。閉店割引セールのせいか、お客さんがいつもより多い。

 

 目当ての本は、売れていた。

 この前ここで見つけた画家中川一政のエッセイ「山の宿」が、大変いい文章だったので、また中川一政の「遠くの顔」を見つけて、他の2冊と一緒にカウンターに持って行くと、ご夫婦が店仕舞いに向け少しずつ後片付けをしていた。

 奥さんは、中川一政の本だと気づいて、後ろを向いて「こんな本もあるんですよ」と「腹の虫」を教えてくれる。

 ページをめくり、画家森田恒友に触れた個所を見つけたので、「これもお願いします」。おかみさんは、「よかった。いい本が売れ残ると、本にも申し訳ない気がして、つらいので」と、目を輝かした。

 

f:id:motobei:20210412212655j:plain



 ご主人は、封筒、便せんと、とある手紙の入った額を大事そうに拭い、紐を結び直していた。昭和の初め、本郷6丁目に古本店を開業した先代へ、南方熊楠翁から送られた手紙だった。先代夫人の知人が熊楠と親交があったため、熊楠は本探しに、主人の父の古本店を頼って、手紙でやり取りしていたのだという。

 

 熊楠翁の小さな字が、筆でびっしりと封筒に書かれている。家宝ですね、というと、欲しがる人がいるのですが、決して手放さないとのこと。おかみさんは、先代と熊楠翁の手紙の内容が紹介された本を取り出して、見せてくれたが、すぐ仕舞った。それも売り物でないことが伺われた。

 

 最近知った店だったが、2代にわたる90年の歴史を持つ古本店だった。店を閉じるということは、父親の代から続いた時間が止まることなので、最後の貴重な時間を思い出とともに過ごしている様子だった。

 

f:id:motobei:20210412182209j:plain

 結局4冊に増えた本は、3つの袋に分けて入れてくれたが、随分と重たかった。昼間の空いた地下鉄に乗って、大急ぎで事務所に戻った。