アオスジアゲハとタヌキチョウ

 猛暑のせいか、蝶々を見かけない。蝉の鳴き声も例年の蝉しぐれの迫力がない。

 空梅雨と猛暑で立ち枯れた紫陽花が象徴するように、花がやられてしまったので、昆虫に影響が出ているのだろうか。家の木によく来るアオスジアゲハも今年は姿を見せない。

 お盆が明けて事務所に出ると、横浜郊外に住む職員は裏山のタヌキが道端で倒れていた、こんなことは初めてなので、恐らく熱中症ではないかと思う、と話していた。

 人間ばかりか、生けるものは多分に猛暑で弱っているのだ。

 

 夏が始まる前に、夏の課題として「タヌキテウ」(たぬきちょう)の命名のわけを解きたいと思っていた。

 江戸時代の末期、尾張藩博物学者小塩(おしお)五郎(1830-1894)の著した「蝶譜」に、アオスジアゲハが掲載されていて、「タヌキテウ」と呼び名が書かれていたのが、ずっと気になっていたのだ。

 

 なぜ、たぬき蝶なのか。アオスジアゲハとたぬきの共通項など詮索してみたが、分からない。

「バリバリノ木ニ生ス」と添え書きがある。バリバリノ木はクスノキ科なので、確かにアオスジアゲハの幼虫が食べるクスノキの葉を言い当てている(ほかにタブノキなど)。たぬき蝶にも根拠があるのだろうと推測された。

 

 鮮やかな青色の羽根模様と、茶色のタヌキが結びつかない。タヌキ顔、タヌキ親爺、タヌキうどん、タヌキ寝入り。さらに、たぬきには、狸ばかりか、手貫(籠手のこと)もある。武具の手貫にひょっとして青い筋の模様があるのか、探したが見つからない。

 

 蝶にタヌキの名が付いたものはない。しかし「タスキ」ならあることが分かった。タスキアゲハ。中南米に生息するアゲハチョウ科で、黒の地に黄色の2条の線がある。上方の太い線と下方の細い線を襷に見立てたのだろう、和名はタスキアゲハとなった(英名はアゲハチョウの王様)。

 

 

 アオスジアゲハは青い筋は1本きりだが、襷と見えないこともない。日本に生息するアゲハチョウ科の他の蝶には、襷といえるほどの線の模様はない。「蝶譜」のアオスジアゲハは「タヌキチョウ」でなくて「タスキチョウ」なのか。

 そうであるなら小塩五郎はアオスジアゲハの模様を「タスキ」に見立てて命名した、あるいは尾張周辺ではすでにこういう呼び方をしていたことになる。全く全国的に普及しなかったものの、興味深いことだ。

 

 しかし博物学者たるものが、うかつにも間違えて表記したりするものだろうか。

 アオスジアゲハが姿を隠しタヌキも倒れる今年のような、江戸時代の猛暑激しい一日、小塩五郎が筆を誤った、と強引に解釈して夏の課題を終えることにした。