昭和初めの公衆食堂のメニュー

 神田橋の公衆食堂 夕食 十五銭

 メニュー①薩摩汁/丼飯/青菜お浸し/大根漬物3切

 薩摩汁「から味噌で、少々閉口したが、中味が貧弱だ。油あげと大根の他にもう少しなんか入れて置いて欲しい」

 青菜お浸し「お浸しは結構だが、これも余りに軽少すぎる」

全体評価「これで十五銭は決して安くない、第一夕食として栄養価が充分かどうかも疑いたくなる」

 メニュー②肉うどん

 「汁が馬鹿に塩辛い。肉は比較的沢山のせてあるが風味と云うものゼロ」

 

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 復刊された昭和4年発行の「東京名物食べある記」の内容の一部分だ。関東大震災後の焼け野原に次々に誕生した「公衆食堂」「平民食堂」「簡易食堂」の安食堂が紹介されていて興味をひかれた。時事通信の家庭部の記者が、昭和初め東京の名物食堂の食べ歩きをし、一冊の本にまとめたものを、教育評論社が復刊したものだ。

 

 今から見ると、まずいものはまずいとはっきり書いているのが面白い。

 

 15銭はどのくらいの価値があるのか。昭和5年の物価を見ると、お汁粉が15銭、牛乳が6銭、ラーメンが10銭、すし25銭、豆腐5銭。お汁粉と同じ価格。米価比較(昭和10年-令和2年)でみると1910倍。

 大まかではあるが、公衆食堂の15銭は、287円くらい、大体300円見当か。

 

 堺利彦「桜の国・地震の国」(昭和3年)を見ると、(100円本で、神保町の古本店に出ていたので買ったのだ)、ここにも震災直後の牛込神楽坂界隈と、神田昌平橋の公衆・簡易食堂の体験記が載っているではないかー。

 

 東京市公設 横寺町公衆食堂

   朝6-8時    12銭 

   昼11-13時  15銭 

   夕5-8時    15銭 

 メニュー まぐろ刺身/茹でた唐菜(とうな、アブラナの変種)/丼飯

  まぐろ刺身「色が黒い」

  茹でた唐菜「相当うまい」

  丼飯「分量多い、米存外いい」

  堺の評価は結構高い。

 

 神田慈善協会経営 昌平橋簡易食堂

  朝、昼、夕 10銭 (200円見当か)

  メニュー こんにゃくの味噌まぶし/丼飯/沢庵2切

 室内印象「室が狭い、光線が少い、風通しが悪い。食卓も器具も皆きたない」

 丼飯「蓋をとるとプーンと匂いがする。即ち外米の匂いである」

   「ボソボソして幾ら噛んでも飲みくだしにくい」

 こんにゃくの味噌まぶし「蒟蒻を一つ口に入れて見たが、水臭いばかりで味が無い」

  

 「純粋の労働者」たちが「飯を掻きこんでゐる」様子を見ながら、社会主義者堺利彦は「小さな貴族たる私は飯を二箸三箸食って、沢庵を一片かぢり、湯を一杯のんだだけで席を立った」と記している。

 

 食堂から時代の空気も見えてくる。「東京名物食べある記」には、帝劇、歌舞伎座新橋演舞場明治座など、当時の劇場内の食堂も出てくる。