書棚にある伊波普猷の「古琉球」(昭和17年)を開くと、大きな印章の写真が掲載されている。
清と琉球国間でやり取りする文書で使用するものだ。国王の尚質(1629-1668)が、康熙帝に新しい印綬を求めたのに応え、康熙元年(1662)に冊使を派遣して届けたのだった。
左が満州文字、右側が漢字の「篆字」。
ともに、「琉球国王之印」と彫られている。
大きいし見事なものだ。実物大とされているのを信じると、縦9.8㌢、横10.2㌢ある。
満州文字は、モンゴル文字を基にしていて、文字もそっくりで、左からの縦読み、一字ごとに間を開けて表記するのも一緒だ。満州語は分からないが、モンゴル語の読みでも、
(左)琉 球 国 ノ (右)王 ノ 印
と記されているのは分かる。
満州人の国家である清は、康熙帝のころから漢文化を重んじるようになり、乾隆帝に受け継がれる。ともに、印章を好み、大きなものを作った。康熙帝の考えは、この琉球国王印を通しても伺われる。
伊波は、同書の次のページに、「首里之印」も掲載している。
こちらは、琉球国内の文書で用いられたのだという。清国の影響なのだろうか、負けず劣らず大きな印章だ。(縦9.7㌢、横9.4㌢)
最近、ケレン味たっぷりのオトドが、ハンコについてあれこれと語っているが、天皇陛下の御璽はどうされるおつもりなのだろうか。
ちなみに、伊波普猷の検印は、IとFを組み合わせたものだった。
私の好みでは、長谷川如是閑のアルファベット印といい、印章にはそぐわないような気がしている。