とみ・とらんの「狼」印「狽」印

 「サン」「ロク」「イチ」

 真夜中に合成音声がリビングに鳴り響く。我が家の猫が、私たちを起こそうと電話機の上に飛び乗って、番号ボタンを踏んで押すのだ。

「タダイマ留守ニシテオリマス」という大きな音も聞こえる。どこを踏んだのだろう。

f:id:motobei:20211108145635j:plain

 それでもこちらが我慢して動じないと、猫は我が部屋にやって来て、書棚の天辺に登り、次々と前足で本を下に落とす。こうなると、起きるしかない。

 そんな猫の被害を受けて、「康熙字典」はボロボロになってしまった。

 その康熙字典で今、「狼狽」の「狽」を探している。

 

f:id:motobei:20211108145704j:plain

 

 先ごろ、江戸時代の京都に俳人で戯作者の「富土卵」(とみ・とらん)をいう人物がいたことを知った。はじめは「ふじたまご」と読みそうになった。

 大坂で飛脚商を経営していた俳人の大伴大江丸については、前にも触れたが大変興味深い人物だ。手に入れた彼の俳書「秋存分」を読んでいると、土卵の名が記された萩の挿絵に出くわして、彼についても少し知りたくなったのだ。

f:id:motobei:20211108145833j:plain

 与謝蕪村や炭太祇ら京に住む天明期の俳人たちと交流していたらしい。「秋存分」には、大江丸が淀川を京都まで登り、京の俳人を訪ねては、句会を開く様子が描かれている。京では土卵も同行しているが、句会での土卵の句は一句も出てこず、この絵が掲載されているだけなのだった。

f:id:motobei:20211108145924j:plain

 画の落款に「狼」と「狽」の二印を用いている。土卵は、「狼狽山人」「狼狽窟」とも称していたので、「狼狽」の落款と思われる。ただ「狼」と「狽」をなぜ別々にしたのだろう。

 改めて「狽」はなにかと気になって、康熙字典のお出ましになった。

 

f:id:motobei:20211108145949j:plain

 

 「狽」の項を見ると、宋の「集韻」からの引用で、≪獣の名で、狼に属す。子が生まれ、足が1つ欠けていた。群れについてゆくが、すぐ離されてしまい、動顛する。故、うろたえることを狼狽という。≫といったことが記されていた。

 

 日本の辞書は少し違っていて、「狼は前足が長く後足が短い。狽は逆。常にともに行き、離れると倒れてしまい、あわてることから、狼狽といわれる」とある。ちょっと不可思議な説明だ。

 

 「狼」と「狽」が同じオオカミの仲間の、違う動物だということは同じだが、3本足と、前後の足の長短の違いがある。

 もともとの謂われがあって、それぞれが変化して2つの話の派生となったのだろうか。

 

 さて、「狼」「狽」にこだわる土卵は、どう見ても面白そうな人物だ。

 残念ながら、いまのところ手掛かりはないが、きっとだれかが調べているような気がしている。