神保町のY書房で「研究評論 歴史教育」という学術誌を見つけた。昭和2年7月号と9月号で、この中に、森本六爾編輯の「考古学研究」創刊号の広告が掲載されていて、びっくりした。
坪井良平宅を編輯所として立ち上げた「考古学研究」は、「四海書房」という東京・巣鴨の出版社から出版されたのだが、「研究評論 歴史研究」は、「四海書房」から前年の大正15年に創刊されており、広告が掲載されたのだった。
「若き考古学者の研究発表機関」と位置付けられていたのが分かる。同時に編輯所の「考古学研究会」の会員募集も行っていた。
考古学研究会の定め
吾々の会を考古学研究会と称する
吾々は年四回(一、四、七、十月)「考古学研究」を発行する。
会員の研究は「考古学研究」を以て発表する。但しその取捨は編輯者に一任して欲しい。
会費は年額金四円とする。半年宛(金二円)の分納を妨げない。
入会は本会編輯所へ申込み同時に会費を発行所四海書房宛送金せられたい。
原稿及び編輯上のことは本会編輯所宛にしていただきたい。本誌定価金一円 送料金四銭
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一方、「研究評論 歴史教育」の奥付を見ると、
(発行日)毎月一回 一日発行
(定価)一冊金五拾銭郵税一銭五厘
六冊(郵税共)前金 三円
十二冊(郵税共)、前金五円八拾銭
「考古学研究」は一冊1円、「研究評論 歴史教育」は50銭と、定価が2倍違うことが分かる。おそらく部数が「歴史評論」ほど望めなかったからだろう。
森本六爾が中村久四郎と共著で上梓した「日本上代文化の考究」の広告も次々頁に掲載されていた。これも四海書房の発行だった。
この経緯を調べてみることにした。