地の果てまで這うヒキガエル

 出雲神話万葉集に登場するヒキガエルは、「国土の隅々まで知り尽くした動物」と見られている。ちょっと、分かりにくい。

 

 ヒキガエルは、万葉集の2首にタニグクの名称で登場する。

1)山上憶良が、家族を見捨てて暮らす男(たち)を諭す歌(巻5-800)。 

 天に上った(死んだ)なら身勝手でもいいが、地上にいる(生きている)限り、大君が支配するこの国で、やりたい放題はダメ、親や妻子の面倒を見よ、と説教をする歌。

 

「この照らす日月の下は 天雲の向伏(むかふ)す極み 谷蟆(タニグク)のさ渡る極み」

 ≪太陽、月が照らす下

 天雲のはるか横たわる空の果てまで

 ヒキガエルの這ってゆく地の果てまで≫

 

 と、ヒキガエルが地の果てまで渡っていくと、されている。

 また、天雲の五七の句と、タニグクの五七の句が対句になっているのが分かる。

 

2)もう1首は、高橋虫麻呂が、九州に節度使として派遣される藤原宇合に贈った歌。

 

 「たにぐくのさ渡る極み」と同じ表現で出てくる。

 「山彦の応へむ極み」と対句になって、

  ≪こだまの届く限り、ヒキガエルの這う地の果てまで≫

  と現代語に訳される。

 

 ヒキガエルは遠出しない、国の隅々まで跳んでいかない。

 なのに、どうして地の果てまでも渡っていくのだろう。とふつうは考える。

 結果「カエルはどこにでも生息しているからだ」と、まるで、カエルに全国連絡網があるかのような理解のされ方をしている。

 

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 古代中国南部の銅鼓に装飾されたカエル



 私は、違うと思っている。憶良は、遣唐使の一員だった。虫麻呂は動植物、伝説に詳しい博物学者。ともに中国の知識を持った奈良時代の知識人だった。唐の時代に、大陸ではヒキガエルをどう見ていたか、もちろん知っていたはずだ。

 

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 上図は、中国の古代銅器に描かれたヒキガエル。月中蟾蜍。月に住むヒキガエルのことだ。

 このヒキガエルは、もとは仙女の嫦娥だった。西王母から夫が貰った不死の秘薬を嫦娥が盗み飲み、月に逃げたのはいいが、蟾蜍に姿を変えられてしまった。

 紀元前2世紀に書かれた「淮南子」に出てくる中国で長い間親しまれる説話で、「嫦娥」は月の別称となり、「蟾蜍」もまた月の別称となっている。

 

「タニグクのさ渡る極み」とは、「月の光が遍く届く極み」として、山上憶良高橋虫麻呂は用いたのではないか。

  1. の歌は、日月の下、日の使者として天雲、月の使者として月光(タニグク)が届く極み、と解釈できる。
  2. の歌は、こだまの音の届く限り=聴覚に対して、月の光(タニグク)の届く極み=視覚として、対句になっていると考えられる。

 ヒキガエルは、月あるいは、月の使いとして「タニグク」と呼称されたのであった。

 月の持つ「不死」特性は、ヒキガエルにも受け継がれている形跡があり、月の不死の水(変若水)が、時代が下って、日本では「ガマの油」として生まれ変わったのではないかと想像している。