危ないキノコ狩

 高校時代、諏訪の寺に泊まり、キノコ採りをした思い出がある。

 夏休みにその寺でひと夏過ごしていたのだが、なぜ秋に行って、友達とキノコ採りしたのか、思い出せない。ただ、いっぺんキノコ採りなるものを体験したかったことは覚えている。

 

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 入笠山の麓、富士見町にある寺で、友達と一緒に起床。住職夫人に、採るべきキノコを見せられてから、林に向かった。食用のカラマツタケ。初めて見るキノコだった。カラマツの樹下に生えるキノコで、今回調べてみると一般にはハナイグチと呼称されているようだ。

 

「カラマツタケだけでいい。シロウトだから、ほかのキノコは、食べられそうだと思っても、危ないから取らないこと」と言い渡された。ぬめりがあって、成長したキノコは傘が広がって、割れていたりするものもあった。

 

 背負った籠に、半日かけて大量に採った。寺に戻ると、奥さんが呼んだ地元のキノコに詳しいおばさんが待っていた。キノコ判定をするのだ。新聞紙の上にぶちまけ、吾々は自信満々だった。

 ところが、おばさんはこれダメ、あら、これもダメだね、と言って結構な数のキノコを選り分けた。「あんたら、食べたら毒にあたっとったずら」と笑い飛ばした。

 

 キノコだけは、専門家の知識がないと大変なことになる。

 

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 太平洋戦争が終って、国民が食糧難に陥っていた時、キノコもまた、空腹を癒したようだ。

 事務所近くの古本店で見つけた昭和22年の雑誌「日本歴史」(霞ケ関書房発行)で思いがけない文章を見つけた(それで、高校時代を思い出したのだ)。

 

 同誌に、新刊紹介のコーナーがあって、キノコ採りのことが出ていた。「野草山菜 秋冬の巻」(3円80銭)。自社の刊行図書の宣伝紹介だった。

 

テングタケ、ツチカブリ、イツポンシメジの如き一般に有毒茸として信じられてゐる茸も、食べ方次第で全く無害美味であることを実例を挙げて説明」。

 

 なんという危ない内容。どんなことが書かれているのか、知りたくて、古本、図書館のアーカイブで探したが見つからなかった。

 

 著者(美並東)には、「蔬菜栽培の手引」という著作(共著)があり、いくらかの根拠があるのか。あるいは、文字通り「有害図書」として、すぐ廃棄処分されたのか。

 

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 昭和22年前後は、毒きのこにも手を出すくらい、人々が飢えていた時代だったのだと思った。


 霞ケ関書房発行の「日本歴史」は1年ほどで廃刊となった。編輯責任者は、戦前に旅行書、温泉書など多数の著書をものした同社経営の松川二郎で、バリバリの左翼から戦前の考えを残した学者と、歴史観の異なる歴史家たちが執筆しているのが珍しい。この人物もちょっと正体不明のキノコのような雰囲気を漂わせて興味深い。