猫のいる古レコード店に行く。
神保町に少しずつ人が戻ってきているが、一本裏道となるとまだまだだ。
レコード愛好家の年寄(私もそうだが)の足が遠のいているのだそうだ。
「妻に外出を止められて、そちらへ行けない」と、常連の年配客から連絡があったそうだ。
そんなわけで、少しでも応援しないとならない。看板猫に挨拶して、レコードを捜す。
10インチLPが幾枚か置いてあった。
ロシアがソ連だったころのレーベル、メロディア盤は音がいい印象がある。主人にそういうと、「国の沽券にかかわるので、録音はいいのが多いですが、その反対にひどいのが混じってるんです」
このリヒテルの10インチLPは、メロディアでなく、AKKOPД(アコルド)という知らないレーベルだった。
家に帰って調べるがよくわからない。レニングラード(ペテルブルグ)のプレス工場で制作されたレーベルだということがやっと判明した。
ジャケットには、オーケストラの名が入っていない。ラベルに目を凝らすと、ワルシャワ国立フィルで、指揮はヴィスロツキとあった。
さらに調べると、リヒテルが米デビューする1年前の1959年4月、ワルシャワで録音されたもの、ドイツグラモフォンの技師がポーランドに乗り込んで録音したうちの一枚だった。
それが、ソ連の大手メロディアでなく、レニングラードの小レーベル、アコルドでプレスされ、国内発売された理由のようだ。
驚いたことに、ジャケットの裏の空白に、ロシア語で4行、ボールペンで書かれた文章があるのを見つけた。
「親愛なるミドリ。あなたが音楽で成功することを祈っております。〇〇〇〇 〇〇〇〇〇〇」
〇は、ロシアの女性名だった。
ミドリという(日本人と思しき)女性音楽家に、ロシア女性がこのLPを贈ったのだった。リヒテルのアコルド盤を選んで。
ミドリさんは、その後、よい音楽家になったのだろうか。
このLPが、巡り巡って神保町の猫のいる古レコード店にやって来たのも、それなりの理由があるのだろうが、当時とあまり変わらない音色で、リヒテルの生々しいタッチに、触れることができるのは至福である。