ショスタコーヴィチに寓話を教えられる

 ショスタコーヴィチが16歳の音楽学校生の時に作曲した小曲を聴く。猫の居る古レコード店で、LPの入った箱の上に置いてあったのだ。前の客がLPを取り散らかして、この1枚だけ買わずにそのまま放置してあった。せっかくなので、それも加えて買った。

 f:id:motobei:20210115151336j:plain

ショスタコーヴィチ未出版作品集」で、学生時代の作品がロジェストヴェンスキー指揮の交響楽団の演奏で収録されていた。その中に、ロシアの作家クルイロフの寓話を音楽化した2曲があった。クルイロフ(1769-1844)の童話寓話は大正時代には中村白葉らの翻訳で出版され、昭和初期の子供たちにも読まれていたので、気になっていた。

 

 帝政ロシア時代、日本では江戸時代後期に当たるころの作家で、イソップの翻案を含む多くの寓話を書き、体制を皮肉っていたので、「当局」から目を付けられていた。

 

 収録2曲は、「こおろぎと蟻」と「驢馬と鶯」。「こおろぎと蟻」は、蟻とキリギリスのイソップ寓話

 

 「驢馬と鶯」は、いい声で鳴くと評判の鶯に、驢馬が自分の耳で判断したいから鳴いてくれと頼む小噺。

 張り切る鶯の歌に、小鳥、家畜、牧夫、そよ風までもがうっとりする。

 驢馬の判定は、「正直言ってかなりのもの。退屈しなかった」。しかしね、「君がうちの雄鶏を知らないのが残念だ。やつに少し教えてもらえば、君はもっとうまくなるだろう」。

 がっかりして飛び去る鶯。

 寓話の結論は「神よ、われわれも、このような審判者は真っ平です」

 

f:id:motobei:20210115151409j:plain

 もののよしあしの分からない者が、審判者、判定者として権威を持っていたらたまらない。それが幅をきかせていたロシアの現実を風刺したのだろう(今の日本も別だとはいいがたいが)。

 

 ショスタコーヴィチの曲は鳴き声を女声合唱、木管で美しく表現し、才気にあふれ生き生きとしている。若いころのショスタコーヴィチは、独裁者スターリンのおかげで七転八倒した後年とは違っていたのだ。

 

 このLPのおかげで、「クルイロフ寓話集」(1993年、内海周平訳、岩波文庫)を古本店から取り寄せて、初めて読んだ。猫も沢山、寓話に登場しているではないか。