エミール・ギレリスの最期

 猫のいる古レコード店で手に入れたサイン入りLPのせいで、ソ連時代のピアニスト、エミール・ギレリス(1916-1985)のことを知りたくなったと、前に記した。

 とくに、LPに入っていたプログラムの英国リサイタルの翌85年に、モスクワで突然死しているので、まず、そのことが気になった。

 

 ギレリスのライバルだったピアニスト・スヴェトスラフ・リヒテル(1915-1997)の回想を手掛かりにすることにした。フランスの映像作家ブルーノ・モンサンジョンリヒテルをインタビューした「Sviatoslav Richter notebooks and conversations」。邦訳もあるが、高いので安い英訳のペーパーバックを注文した。

 

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 さて、ギレリスの死の様子はー。

「彼は体調チェックのため、病院に行った。注射され、3分後に亡くなった。クレムリン病院の医師たちは政治的なコネで選ばれたものばかりだと、みんな知っている。その結果が、この全く無能な連中の誤った注射で彼を殺してしまったのだ」

 

 病院で注射をうって、それで3分後に亡くなった。

 

 なんとも、不可思議な死因だ。リヒテルは、病院がソ連共産党幹部のコネで入ったロクでもない医療関係者が勤務する問題病院だったから、と言っているのだった。

 

 ならば、そんな悪評判の病院にギレリスがなぜ、行ったのか、という疑問が残る。

 

 私は、独裁下のソ連で苦労した音楽家が、不可思議な死を遂げるのが気になっていた。

 

 バイオリンのオイストラッフ(1908-1974)は、ツアー中のアムステルダムで客死した。突然死だった。この1974年10月24日は、オイストラフとも関係が深かった、長年に亘るソ連文化行政の女性ボスだったエカチェリーナ・フルツェワ(女帝に例えられエカチェリーナ3世と呼ばれた)が汚職捜査を受けて死亡した当日だった(自殺とされる)。

 

 ソ連音楽界で指導的立場だったが、亡命を果たした指揮者コンドラシン(1917-1981)は、アムステルダムのコンサートで大成功して、戻ったホテルで、突然死した。心臓発作とされた。彼は亡命後、ソ連時代の記録は全部消され、存在しなかったことにされていた。

 

 プロコフィエフの死もまた、スターリンの死と同じ日だった。

 

 脅しながらすかしながら、芸術家を弄ぶ独裁者の元で、音楽活動をしいられるソ連時代の天才たちの、奏でる音楽はもの凄いものがある、と今になって思うことがある。