2012-01-01から1年間の記事一覧

力士埴輪の赤い鉢巻

ジガバチの英名は、主に2つあって、 1は、腰細の特徴から、thread-waisted wasp 糸の様な細い腰の蜂 2は、red-banded sand wasp 赤い帯模様の砂の蜂 http://photozou.jp/photo/show/151134/28645122 ジガバチは赤い腰の赤が特徴だ。 「日本霊異記」の登場…

足長蜂の巣から、日本書紀のスガルを想う

アシナガバチの巣が、我が家に毎年出きる。 感心するのは、見事な幾何学的なデザインであること、巣を外部にくっつける把手の箇所が、金属のように固く頑丈なこと。繊維でもって、あんなに固くなるのだとしたら新素材に利用できるのではないか、と思うくらい…

ゼウスは鷲を右手に止めた

紀元前4世紀、アレクサンダー大王時代のコインというものがあって、 椅子に座った男が、ワシタカ類を右手に止めているデザインだった。 アレクサンダー像かと思ったら違った。 調べてみたら、ギリシアの全能の神、ゼウスと黒鷲だった。 腰布をつけ、即位し…

モンゴルの鬼鐶を見て、歯の数チェック

モンゴル・ウランバートルのガンダン寺院の門に、鬼らしき顔をした把手があったので撮影したが、果たして今も残っているのだろうか。 小杉一雄氏は「日本の文様」(社会思想社)で、「鬼鐶」と名づけている。 邪悪なものを防ぐ意味をもって、中国の戦国時代…

立石鉄臣さんの挿絵探し

画家・立石鉄臣さんは、こんな猫の挿絵を描いている。「島崎藤村」(日本の詩 ほるぷ出版 1975)で見つけた。藤村の「いろはがるた」の「ね 猫には手毬」の挿絵だ。 この本の装丁も担当していた。 ついで、加藤郁乎編訳の「歌謡」(現代思潮社、1973)…

仙台藩の西洋犬

東京・大井町の品川歴史館に、江戸時代の西洋犬の骨格が展示されている。東大井の仙台坂遺跡から発掘された犬の骨。仙台藩の江戸下屋敷があった場所だ。 もともとクヌギ林だったのを、伊達氏が万治元年(1658)5月に拝領した。品川歴史館の解説では、西…

日本の鷹犬を探索中

諏訪流鷹匠の大塚紀子さんの「鷹匠の技とこころ 鷹狩文化と諏訪流放鷹術」(白水社)によると、日本の鷹犬は、セッターやポインターのように 猟の作法をなかなか習得できず、 特に鷹犬に一番要求されること、鷹や鷹の獲物に飛びかからずにじっとしているのが難…

ハイタカやコノリを用いた放鷹楽

暑いなか、忙しない生活を送っているけれど、合間を縫って、「鷹狩り」の探索を続けている。 「放鷹楽」について。 奏楽に、鷹狩りを表現したものがあった。村戸弥生さんの「遊戯から芸道へ:中世における芸能の変容」を読んで、「放鷹楽」の存在を知った。 …

隼人の鷹犬は百済の渡来犬か

鷹狩における鷹犬の存在。古代日本でも、鷹と犬がセットだったことを伺わせるものが残っている。 奈良時代「天平十年(738)筑後国正税帳」にこう記されている。 「貢上鷹養人参拾人・・・貢上犬壱拾五頭」。 大宰府に、税として鷹匠30人、犬15頭が献上…

鷹犬の元祖はトルコから?

前回紹介した、李重潤墓の壁画の、「臂鷹緤犬図」は、実は重要な絵のようだ。 人物を見ると、左手に鷹を止めているように見える。アラブ、日本、朝鮮流の止め方だ。中国のものでは、ほかに例がない。 李重潤墓の壁画には、鷹匠のものが他にも2点ある。2点と…

中国の古代鷹犬もサルーキに似ていたようだ

前に、サルーキというアラブの鷹犬について書いたが、サルーキ saluki が シロハヤブサ gyrfalcon に、獲物を分けてもらう興味深い動画があった。 http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&v=eoT9WsN39F4&NR=1 http://www.youtube.com/watch?v=tjatW…

立石鉄臣さんへの勝手な思い

立石鉄臣画伯は、台湾生まれの「湾生」だったが、1913年に8歳で家族とともに帰国し、東京で育った。明治学院中等部卒業後、絵の道に進む。小石川にあった川端玉章の川端画学校で日本画を学び、油絵にも関心を持ち、岸田劉生、梅原龍三郎に学んでいる。 …

台湾の天狗の話の続き

立石鉄臣画伯が、1940年代台湾で用いられた天狗の版画絵を、「民俗台湾」誌に模して、発表したところまで書いた。 ちょっとかわいらしく見えるが、台湾で天狗は、邪神として人間に悪さをすると考えられた。家庭で不幸が起こると、天狗のせいとされ、タンキー…

台湾の天狗の版画を写した立石鉄臣さんのこと

台湾を初めて尋ねた時、台湾生まれの日本人画家、立石鉄臣さんの存在を知った。立石さんらと植民地台湾で青春時代を送った考古学者、宋文薫さんの文章でだった。 宋さんが、立石夫人の肖像画を大事に台北大学の研究室に飾っている話を「雄獅美術」に寄稿した…

羽白熊鷲をオオワシに「比定」してみた

記紀には、猛禽の名をもった人物がほかにも登場する。日本書紀の巻9。神功皇后が筑紫を「平定」する話の中に、羽白熊鷲が出てくる。 「荷持田村(のとりたのふれ)に羽白熊鷲という者があり、その人となりは強健で、翼がありより高く飛ぶことができる。皇命…

古事記のオオタカは、シロハヤブサだったという仮説

前の事だが、南京博物院名宝展が東京でも開かれ、明代の画家殷偕の「鷹撃天鵞図」が展示された。 天鵞は白鳥。鷹が白鳥を撃つ瞬間を捉えた迫力ある画だ。カタログの解説には、 「天鵞(白鳥)を襲う鹞鷹(はいたか)の図」と記されていた。南京博物院の判断…

ツルとシロハヤブサにこだわるわけ

鷹狩りについて調べてゆくと、どうしても、フレデリック2世の書いた大著「De arte venandi cum avibus」(鷹狩りの技術)を無視できないことが判った。 2分冊の英語訳が出ているので、上巻から取り寄せて読み出した。 13世紀の神…

高野長英が持っていた英国カップ

埼玉・大宮の在に土呂という処があって、旧家に高野長英から贈られたと伝わる英国の陶器が残っている。 「見沼の風-大和田だより」というHPで知った。 http://keyakihiroba.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_8d96.html 長英は幕末の日本の、何処でこの…

シロハヤブサに、やっとたどり着いた

昼休みに国際展示場のブックフェアを覗いて、バーゲンコーナーで重い「Audubon birds」(JG press)を買って帰った。 J・J Audubonの、全米の鳥のイラスト選集で、見事な鷹の画が載っている。特に美しいのが、シロハヤブサ gy…

アラブの鷹犬サルーキと、隼人の鷹犬のことなど

「狸ビール」という伊藤礼さんの本は、僕が最も好きな本の10冊に入る。猟というものをユーモラスに描いていて、僕が知りたかった人と猟犬の関係や、人と犬の心のやり取りが伺えるからだ。 日本がまだ豊かな自然の残っていた頃の、野山を舞台にした人と犬の共…

古代日本、ヨコシマだったのは左か右か

「横」という言葉は、縦横の横だけでなく、古代の日本語では「ノーマルでない」という否定的な意味を持っていたーホント? と思える説を、言語学者の村山七郎氏が唱えていた。 街の青空古本市で250円で売られていた「日本語の起源」(村山七郎・大林太良共著…

醜いおなかになったシュメールの神

なんという、醜いおなかになってしまったの。 高校時代、渋谷の書店で背伸びして、seton lloyd著「the art of the ancient near east」という本を買った。なかで、目を引いたのが、メソポタミア文明の初期、シュメール…

美しい野田のオオタカ

野田市在住の野鳥写真家の方から頂いた貴重な、オオタカの写真を、窓辺に飾ってみる。 獲物を見つけて、着地しようとする一瞬なのだろう、美しい鷹に惚れ惚れする。 野田には、オオタカが沢山棲んでいるというから、住民が羨ましい。 野田には「愛宕」という…

英国のチョウゲンボウ

英会話の先生スチュワートさんとモンゴルからドバイ辺りへ、セーカー隼が不正輸出されている話になり、その流れで、ロンドンのタカの話になった。 10数年前の話、ロンドンのパブ周辺に鳩が増えて、店々が困ったことがあったという。みなで鷹飼を雇って、鷹を…

船は隼、鷲であり、コノリでもあった説

舟は、ワシタカに例えられていたのだなあ、沖縄の事物、歴史に触れるにつけて、思うことが多い。 陰暦5月4日に行われてきたハーレー「爬竜船」の競漕。 船は「隼」と言われた。前に紹介した松田毅一少年の「台湾・沖縄の旅」には、昭和10年代の那覇のハー…

人工ミサゴは、危険です

冬、渡良瀬遊水地に出かけたことがある。 年季の入ったバードウォッチャーが多数集まっていた。チェアーを出して、沸かした珈琲を飲みながら、じっと待っている人もいた。 彼らは、ミサゴを待っていた。 先生といわれるベテランがいて、覗いてごらん、と据え…

平安時代の古謡にクチが出てきた

仁徳紀に、日本の放鷹が「倶知(クチ)」という鳥で始まったと記されていること、そのクチは中国でハヤブサの別称「鹘(コツ)」であること、仁徳紀の鷹狩はハヤブサで行われたものだろうと、以前に書いた。 その後、東洋史学の白鳥庫吉(くらきち)氏の論文…

カワイイ雉子の正体は

箱根のゴルフ場に、かわいい雉子がー。 上空には、ワシタカ類が2羽、翼を広げ悠々と飛んでいた。 最近、箱根の山に猪や鹿が増えたので、このゴルフ場では周囲5キロにネットを張って猪が入らないようにしている。猪はミミズを食べるため、グリーンの芝を鼻…

やっぱりね、トビはトビでなかった

遊びせんとや生まれけむ、の「梁塵秘抄」の374番の雑首に、こんなのがあった。 勝れて速きもの、鷂(はいたか) 隼 手なる鷹、瀧の水、山より落ち来る柴車、三所五所に申す言。 意訳すると、この世でひときわ速いのは、ハイタカという鷹、ハヤブサ、手に…

山田史はタカに縁があることが判った

日本書紀の述作者については、森博達さんが解明に近い分析をしている。「日本書紀の謎を解く」(中公新書)で、巻1から巻12までと、巻22、23は、山田史御方(やまだのふひと・みかた)が書いたとしている。 先に記した、金鵄の巻3、倶知という鷹の巻…