力士埴輪の赤い鉢巻

 ジガバチの英名は、主に2つあって、
 
1は、腰細の特徴から、thread-waisted wasp
      糸の様な細い腰の蜂
 
2は、red-banded sand wasp
       赤い帯模様の砂の蜂
 
 
 ジガバチは赤い腰の赤が特徴だ。
 
日本霊異記」の登場するスガルは、この2つ目の要素が含まれていたのだ。霊異記には、「雷を捉へし縁」の項に、紹介されている。スガルが、雄略天皇の命を受けて、鳴雷を捕まえに行く時、緋(あけ)の縵(かづら)を額(ぬか)に著(つ)け」馬に乗って出て行った、とある。緋のかづら、スガルは、「赤い鉢巻」をして居た、と考えていいだろう。
 
 スガルの命名のわけは、赤い鉢巻を着けていたためという可能性も排除できない。
 
 スガルが力士だと、考えるのは、雷神と力士の関係について、「巫与民間信仰」(宋兆麟)を捲ってみたら、広西省の壮族の伝説に、「遠い昔、雷公と力士がいつも争っていた」というものがあったことだ。
 
 力士が雷公を捉まえ部屋に閉じ込めた。力士が外出した時、雷公は力士の子供たちに哀願して、逃がしてもらったが、お礼として子供たちに瓢箪の種をあげた。天下が洪水になったとき、力士の子供の兄妹だけが瓢箪の中に入って助かった。
 
 所謂洪水神話の一エピソードなのだが、中国少数民族壮族の間でも、雷公を捉まえる天敵が、力士だったのが眼をひいたのだ。
 
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日本の力士像は、和歌山県・井辺八幡山古墳の埴輪が有名だ。考古学の先生は、力士は頭頂を剃って、後ろで束髪にしている、と解釈している。しかし、僕は、あれは鉢巻ではないかと、解釈する誘惑に駆られる。しかも、赤い鉢巻だった、と。
 
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 朝鮮半島の力士の壁画にも、鉢巻の例はないが、赤い鉢巻を示す、相撲の壁画や埴輪がさらに発掘されないものか、期待している