仙台藩の西洋犬

 東京・大井町の品川歴史館に、江戸時代の西洋犬の骨格が展示されている。東大井の仙台坂遺跡から発掘された犬の骨。仙台藩の江戸下屋敷があった場所だ。
 もともとクヌギ林だったのを、伊達氏が万治元年(1658)5月に拝領した。品川歴史館の解説では、西洋犬の「3代藩主伊達綱宗のペット説」を紹介している。
 
 歯の磨耗が少ないので、やわらかい食べ物を食べていたと推測し、猟犬でなくペットだったということらしい。
 
イメージ 1「仙台坂遺跡」(1990)から
 
 発掘の調査報告書によると、遺跡からは江戸時代に飼われた中型犬、大型犬の5頭が出土し、最大の犬は「現生のイヌにたとえれば、シェパードよりやや大きめ」としている。
  面白いのは、地元仙台城の三ノ丸跡からも、17世紀の中型犬が出土していること。
伊達氏が西洋犬を好んで飼っていたのは、どうやら間違いない。
 果たして、ペットだったのか。伊達氏は鷹狩りを好んだことで知られる。伊達政宗、7代伊達重村も有名だ。猟犬、鷹犬の可能性も考えてみる。
 
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 伊達の領地だった宮城県松島町の文化財に、犬を描いた絵馬がある。
 慶安3年(1650)、江戸時代初期のものだ。もともと、松島五大堂に掲げられた狩野派画家、狩野玄徳の作という。
 これは伊達の西洋犬ではないか、と色めきたったら、これには原画があってそれを模したものだった。
 
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 「洋犬図屏風」という長谷川等彜の作品でこれも江戸初期とされる。この犬を種にした粉本は、ほかにも酒井抱一「洋犬図絵馬」などたくさん出回ったということだ。
  問題は、この画家が実際に西洋犬を見て描いたのか、「南蛮人」の描いた西洋犬のデッサンを模したのか、だ。
 
  江戸の西洋犬は、東京の芝神明町遺跡、稲葉家屋敷跡の飯倉分館、芝金杉通町遺跡からも出土している。
  犬の骨から犬種を推定し復元する学問があったらいいなあ、と思う。どれだけ、犬を通して歴史が身近になってくることかー。