2012-01-01から1年間の記事一覧

トビとハイタカが混線している

哀しきは、動物園の鷹たち。このトビも、捕えられなければ、大空で輪を描いていたろうに。前回、フランスのことわざで、「ノスリはハイタカにはなれぬ」というのを紹介した。人に懐いてしまうノスリは、頑張っても、気高いハイタカにはなれない、という意味…

本当かいな!ヘディンの見た鳶

ヘディン「さまよえる湖」(岩波文庫)を初めて読んだ時から、気になっている一節がある。ヘディンが、幻の湖ロブノールを探し、クム・ダリア川を進む時、1羽のワシタカ類を見つける箇所だ。 「『サル』というのはトルコ語で鳶のことをいうが、この名は皇帝…

土曜日にはウイグル・レストラン

土曜日には家族で、ウイグル料理を食べに行くことが多い。シシカワブから始まって、ワンタンスープのチュチュレ、鶏と野菜炒め、ミートパイのグシトン、焼きうどんのソメンと食べる。 主人は、ウイグル人。 3.11の大地震の後、店に行くと、中国人の従業…

チベット、雲南も古代日本流のよう

馬子や騎手が、馬をひく際、馬の手綱を、馬の右側から取るか、左側から取るか、について触れたが、さらに、こだわってみる。 世界を見渡して多くは、馬から見て、左側からひいているのだが、古墳時代の埴輪の大半は、馬子が、右側から取っていて珍しい、こと…

インドにあった日本の左右の習慣

日本の古墳から出土する馬子の埴輪が、左手で馬の右側から牽いていると、前に指摘したが、再度調べてみると、右手で牽く、石川県の小松市の矢田野エジリ古墳の一例を除き、殆どが左手牽きだった。 ▼群馬県太田市 太田塚廻り4号墳 6世紀前半 http://www.gun…

隼人と満蒙ハヤブサ名と濃密な関係

国立劇場で仕事があって、九段下から千鳥ケ淵を通って歩いて行った。 サクラ 見事なり。 今年の花見は、これでおしまい。 ハヤブサのことを、調べ続けている。気になっていることがあるからだ。日本には、ハヤブサの名を持った人たちが居た。隼人。南九州に…

陛下、鶴が飛んでおります

モンゴルの鷹狩りについて、アレコレ述べてきたが、モンゴル帝国最盛期の鷹狩りについて、あいまいにしていた。マルコ・ポーロの「東方見聞録」を本箱から出して、パラパラめくった。 出てくる、出てくる。チンギス・ハーンの孫で、元朝の初代皇帝 フビライ…

馬も駱駝も飛行機も左から乗降するものだが

モンゴルで出会った子供。自在に馬を扱って、私の長男もこの馬に乗せてくれた。当たり前だが、わが子は、写真の手前側、つまり馬の左側から鐙に足をかけ、跨いだ。左から乗るのが、世界的な常識といっていい。 飛行機の搭乗口も、左側。そもそも、船が左舷を…

解明!日本初の鷹狩りはハヤブサだった

森の多い日本では、鷹狩りといえばオオタカが愛用された。 きりりとした白の眉斑、白の胸に灰黒の横斑、とても美しいタカだ。 日本で好まれたのも、なるほどと思う。 山や森で、獲物の鳥を、蹠(あし)で掴み、抑え込んで捕る。 「獲物は、致命的な傷をオオ…

開高さんのモンゴル散骨を知らなかった

昨日BS-TBSで「漂えど沈まず 小説家開高健が遺した言葉 小林薫モンゴルを行く」 を見た。 昭和62(1987)年から2度、開高健さんがイトウ釣りをしたモンゴルを、偲んで 小林薫、岩切靖治さん、鯉渕信一先生の3人で訪ねていた。 知らないことが…

モンゴルでの秘密交渉で想い出したこと

相変らず、密会場所はモンゴル・ウランバートルなのか。 学生時代、坂本是忠先生の授業で覚えているのは、 中ソ関係が悪化していた当時、両国の密使がこっそり会って、交渉するのが、 モンゴルだということだった。 モンゴルを見ていれば、緊張した中ソの動…

ヨルというヒゲワシを見損なった

モンゴルがまだ、社会主義だった頃、 北京から列車でモンゴルに入った。 ウランバートルで2泊した後、空港から飛行機で南下し、ゴビに向かい 1時間半ほどで、草原の天然空港に到着したのをよく覚えている。 ゴビの二日目に、タカを見に行くのだと、僕ら6…

トリプルA-鷹にも格があるようだ

偉大なるフィールドワーカー鳥居龍蔵が、明治44年に出版した「蒙古旅行」で、かわいいらしいタカの印を紹介している。 「鳥居龍蔵全集 第9巻」(朝日新聞社)に出て来た。 龍蔵は、東モンゴルの小巴林王府に至る途中ホトン・ヌ・アイラという村で、遼の時代の…

三田康の絵を見に行った

前に芭蕉の研究者、飯野哲二さんの「親友」だった洋画家、三田康さんに触れた。 少し前、三田氏の絵を見に、細と川越市立美術館へ行ってみた。 「昭和モダン 藤島武二と新制作初期会員たち」という展覧会に、三田の作品が展示されていたからだ。 新制作立ち…

竹久夢二の絵葉書

竹久夢二の絵葉書を、また、紹介。 「七里ガ浜の哀歌」の2番の歌詞。 明治43年1月23日、神奈川県・七里ヶ浜で逗子開成中学校の生徒12名が乗ったボートが転覆し、全員が死亡した。作詞は、鎌倉女学校の先生三角錫子。 これが1番の歌詞。 「川べの歌」…

大伴家持の違法鷹狩りから伺えること

散歩に出た。池畔の道を行くと、梅がほころび、つぐみが跳ねていた。まだ寒いが春到来を感じてうれしくなる。 池にはキンクロハジロが多数。数年前まで多数派だったオナガガモがめっきり減って、キンクロハジロの天下である。冠毛が可愛いのでキンクロは好も…

アラブの鷹狩りも日本流

2年前、「アラブの鷹狩り(ARAB FALCONRY)」という本が英国で出版された。ROGER UPTONという英の鷹狩り研究家が、アラブ首長国連邦を中心に、アラブの鷹狩りを50年以上、現地で調査してまとめた224頁にわたる成果だ。 時間をか…

工藤紅洋、神保朋世の絵ハガキが出てきた

2月の仕事の山も越えて、ちょっとひと息。 部屋を片付けていたら、義理の祖父の遺品が出てきた。大正から昭和にかけての「ろまん絵葉書」で、竹下夢二のものなどが多数、小箱に入っていた。 あまり興味はないが、面白そうなものもあり、何か役に立つかも知…

月に住む少女

モンゴルでは、月がどんな風に見られているか。探していた絵本がやっと見つかった。 ダシュドンドクの「父母私」で、ご覧の「月の上の娘」には、次のような文章が付いている。 《月の上に何がいる よく見れば 天秤棒で桶を運ぶ 小さな女の子 満月の上の 女の…

沖縄にペリー提督が持ち込んだ花

バレンタインデーなので、オフィスにチョコが集まる。どうせ、恋する年齢が過ぎている者ばかりなんだから、と皆でテーブルに出して食べあう。 猫を描いたチョコがあったので、我が家のオス猫にひとつ持ち帰る。もちろん、猫にチョコは毒だから、見せるだけ。…

ROXY MUSICの鷹狩りジャケット

再び鷹狩りについて。 モンゴル、トルコ型=右腕 日本、韓国、欧州=左腕 と、鷹匠が鷹を止める腕が、民族によって左右の別があることを、言ってきた。 日本流の左腕のルーツが知りたくて、朝鮮半島の付け根あたりは、どうなのか、気になっていた。 最近、中…

昭和12年、少年が描いた沖縄・普天間

大阪府立天王寺中学(現・高校)の一生徒が、昭和12年に、台湾と沖縄を旅し、立派な本を上梓した。松田毅一少年の「台湾・沖縄の旅」(学校印刷、1円20銭)。 神保町で、辞書を作っている知人と会い、「最近は中国、台湾からの旅行者が神保町の古本屋を漁っ…

対馬の情熱家と久米島の海水温度差発電

沖縄・久米島で、海水温度差発電の第一歩が踏み出された。 沖縄タイムズが1月27日付で報じた。 県が県海洋深層水研究所(久米島町)で2012年度、海水の温度差を利用して電力を生み出す「海洋温度差発電(OTEC)」の100キロワット級発電プラントを…

踏ん張れモンゴルのイケメン力士

先週、大相撲初場所初日を覗いた。 大入りで少し活気が戻ったようだ。琴奨菊、稀勢ノ里と日本生まれの力士が活躍しだしたせいもある。 幕内土俵入りがあって、西の2人目に随分男前の力士がいた。 間近に見て、いい男だなあ、と思った。 モンゴル出身の旭秀鵬…

不思議なタブローと嵯峨野・芭蕉研究家

哲二・小夜について、最後に綴りたいことがある。全くの推測であり、大はずれかもしれない。 哲二32歳の時洋画家の親友がいた。9歳年下の画家・三田康(さんた・やすし)。飯野哲二が上梓した「近松の芸術と人生」(大正12年、東条書店)の表紙絵を描いた…

小夜と落柿舎騒動

嵯峨野の寺には、動物が掘った出来立ての穴があった。 住職によると、小倉山から猪が下りて来て、境内でミミズを食べたり、ユリネを掘り出して食べて、また戻って行くのだという。 ここまで、猪が来るんですかあ。正直僕は驚いた。 トロッコ鉄道の駅の傍、観…

嵯峨野に眠る芭蕉研究家のこと

先に記した、京都・嵯峨野の寺には、芭蕉の研究家の墓がある。 飯野哲二東北大学名誉教授。 1891年(明治24)、栃木県二宮町生まれ。近世文学を研究し、東大で学んだ後、仙台の宮城女専という女学校で教鞭をとり、 54歳で終戦を迎える。 東北大の先生とな…