ヘディン「さまよえる湖」(岩波文庫)を初めて読んだ時から、気になっている一節がある。ヘディンが、幻の湖ロブノールを探し、クム・ダリア川を進む時、1羽のワシタカ類を見つける箇所だ。
ヘディンが勘違いしているのか、誤訳なのか。鳶は、鷹狩りをする殆どの民族の間では、尊敬されていない。理由のひとつは、鳶が雑食性であることだ。
鷹狩りでハヤブサやオオタカが愛されたのは、ただ獲物をとるためではない。死肉や昆虫といった獲物でなく、生きた獲物にのみ立ち向かって行き、それぞれがそれぞれのやり方で、獲物を仕留める高い能力を持っているためらしい。
人間が歴史的にこれほど鷹に惹かれてきたのは、鷹が「自分よりはるかに勝る体躯の獲物にも負けない強い気性、人間が憧れるような勇気を、備えていることだった」
ただ、気になるのは、サルは、モンゴル語で『月』の意味があり、「月の鳥」サル・ショボーと呼ばれるのは、鳶でなく、「ノスリ」であることだ。ノスリは月を獲って食べると信じられていたため、そう呼称されたという。
荒俣宏『博物図鑑・鳥類』のノスリの解説によると、聖書にもノスリはトビと同様に、人に捕らえられるとすぐに馴れてしまう鳥とされ、高貴さを備えていないと見られている。フランスのことわざに、「ノスリをハイタカにはできぬ」というのがあるそうだ。

トビの名誉のため、一言。雑食性のトビもまた、日本では別の魅力が引き出された。トビは、天狗に化身したものとされ、神通力を持つあの不思議な、「天狗文化」を生み出したのである。