伊豆大島に放たれた猫のなぞ

 18世紀に、伊豆大島に猫が放たれた、という古文書があるのを知った。
 
「大島差出帳」に、江戸時代の宝永年間あたりの出来事として、猫が島に運ばれて放たれたとある。
 
 僕には、よく、飲み込めない。
 
「元禄二年より宝永五年十二月迄二十ケ年余御放鳥、鳶・鷹度々被遣、先年鷹一度・猫両度被為遣、其後鵜・鳶・鷹切々被為遣候」
 
《元禄2年(1689)から宝永5年(1708)12月まで、20年あまり、御放鳥が行われ、トビ、タカがたびたび遣わされた。先年、タカが1度、猫は2度遣わせられて、その後もウ、トビ、タカがしばしば遣わせられて候》。
 
 徳川綱吉治世、「生類憐みの令」の時代。動物の殺生はあいならぬ、と江戸で今までは駆除されていたトビやカラスの巣などが、生け捕りの上、伊豆諸島で放鳥されることになったのだ。
 
 トビやタカやカラスやウに混じった猫はなんなのだろう。猫は鳥じゃない。
 
 伊豆の新島に、元禄4年(1691)に放鳥された記録があり、「新島へ鳶烏九百五十隻放たる」(「常憲院殿御実紀」)とあり、トビ、カラスあわせて950羽とべらぼうな数だ。
 
 大島に2度放たれた猫も、数匹、数十匹ではすまないだろう。
 
 となると、今大島にいる猫は、放たれた江戸の猫の末裔なのか。
 
 それら江戸の猫は、野良猫か。前に書いたように「化け猫」に認定された、わけあり猫か。
 
 根崎光夫氏の論文「生類憐み政策下における放鷹制度の変容過程」や著作を読み込んでも、江戸の鷹狩の話題が主なので、この猫のことが出てこない。
 
「猫」は猫でないのか。