「夕風や水青鷺の脛をうつ」
と、与謝蕪村が作句していた18世紀の後半頃、英国南部で、牧師の手つだいをしながら、ギルバート・ホワイトが野鳥を観察していた。
彼の「セルボーン博物誌」(寿岳文章訳、岩波文庫)を古本屋でみつけて、ひろいよみして、愉しんでいる。
散歩中、カワラヒワが背の高い野草にとまっていたので、帰宅して、「博物誌」をめくってみると、カワラヒワのとび方について、他の鳥との比較で、こうかいていた。
「怪我でもして死にかけてゐるのではあるまいかと怪しまれるほど、力なくひょろひょろしたそぶりを見せる」
まさに、そんな風であった。
先月、荒川河川敷のゴルフ場で、チョウゲンボウのホバリングをみたが、チョウゲンボウについても、「翼を活発に動かし続けながら、空中の一処に停止すると云う特殊な習癖をもってゐる」とちゃんとしるしてあった。
「あの軽い胴体を動かすための帆の道具立てがあまりに多すぎ(大きすぎ?)、かへって荷厄介かと思われる。しかし、実際は、かうした広い中空の翼が、大きな魚などの荷を運ぶには、是非とも必要なのです」
体の割に翼が大きい理由を、大きな重い魚をはこぶため、と観察、解釈している。
俳人は、がんばっているが、同時代の英国=欧州では、野生動物の生態学へふみこんでいる。
博物学は日本でも芽ばえていて、「和漢三才図会」も18世紀のはじめに発行されている。
先の、チョウゲンボウは、「鵟=クソトビ」と紹介される。野鼠、昆虫、ハ虫類を捕食し、小鳥を稀にしかとらないので、馬糞鷹=マグソダカ、クソタカとさんざんないわれ方をしてきた。
鵟=クソトビは、「ノスリ」の古名であり、ちがっている。
チョウゲンボウの説明には、「牛馬の枯糞、あるいは、魚物鳥雛をつかみ」とある。うつくしいこの鳥は、クソはつかみません。
江戸の博物学は、まだまだ、自然観察まで到達していなかったようだ。