品川宿散歩のメモ書き

   北品川、新馬場を歩いた時に、目を引いたものをメモしておく。
 
1 如意花頭
  品川千躰荒神堂の窓
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 以前、福島県いわき市高蔵寺三重塔を訪れた時に、こういう窓があるのを知った。
 
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          安永3年(1774)建立の高蔵寺
 
  禅宗様の花頭窓の変形で、形を如意珠に似せている。ほかでもよく見られるのか。HPで調べると、福岡県みやこ町の豊前国分寺の明治時代建立(1896)の三重塔にあるくらいで、はっきりわからない。品川宿の寺に、この窓があるので少し吃驚。
 
2 山伏の痕跡
      品川神社品川寺、千躰荒神
      役行者の石像があちこちにあり、山伏の匂いがプンプンした。
 
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          品川神社役行者
 
 役行者は修験の祖。品川宿には山伏が沢山いたのだろうと、想像する。柳田国男「俗山伏」を読むと、江戸時代の街道筋の山伏はタチが良くなかったようだ。
 「江戸長崎を縦断した和蘭人(ホントはドイツ人)ケムペルの紀行に、国道の往来筋へ無数の山伏が出て居て憎々しく布施を迫った事が詳しく書かれてある」
 山伏たちは、ほら貝を吹いて、しつこく布施を要求したらしい。
   品川寺での本堂で、「陀羅尼助」を売っていた。品川宿の山伏たちは、薬も売っていたのだろう。
 品川心中に出てくるような愛すべき人物たちに売りつけた薬もあったろう。
 
3 品川寺の地蔵
 
 江戸の六地蔵といって、宝永5年(1708)江戸に入る街道入口に六つの地蔵を置いたという。東海道に置いたのが、品川寺に残る。座高2.75m。
 
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 前年の宝永4年10月にM8.4の宝永大地震が発生、太平洋岸は津波の被害にあった。追い打ちをかけるように、11月下旬には 富士山の宝永の大噴火。不安の中、祈るように鋳造されたのだろう。遠いことのようには思えない。
 
 4 海妟寺の加舎白雄墓
 
 江戸時代の俳人白雄には、近代俳句のような感性をかんじさせる句があり、前々から気になっていた。1738生-1791没。
 
  菖蒲湯や菖蒲寄り来る乳(ち)のあたり
   冬近き日のあたりけり鳶の腹
 
  イメージ 6 手前が白雄の墓