鷹狩は狂言に出てくる。
仏の教えのせいで極楽にゆく人が増え、地獄は閑古鳥。閻魔、鬼が待ち構えていると、殺生の罪で地獄行の候補、鷹匠の政頼がやってきた。
「殺生しているのは鷹のほうで、自分ではない」と理屈を言って自己弁護し、鷹狩の由来を語って、ついには鬼たちを誘い込んで鷹狩に興じて雉をとる。
鳥の丸焼きが好物の閻魔は、獲物を食べて大喜び。今後3年間獲物を地獄におくりとどけることを条件に、政頼を娑婆に戻してしまうー。
政頼のモデルは、平安中期の武人で鷹狩名人、源斉頼(まさより、あるいは、なりより)。「古事談」には両目に雉のクチバシがはえて、目がみえなくなったとか、最期には、鳥の毛が全身にはえてきたと書かれている。ただ盲目になっても触るだけで、鷹の産地がわかったと、名人ぶりを伝えている。
狂言の舞台では、実際に鷹や雉の剥製の小道具がつかわれる。剥製は、自然保護のながれでなかなか手にはいりにくいのだろうと想像する。というのも、オオタカやハイタカで政頼は鷹狩をおこなったのだろうが、舞台にでてくる剥製は、素人目にも、オオタカ、ハイタカではなさそうだ。
とか とか。
我家のオオタカ