沖縄にペリー提督が持ち込んだ花

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 バレンタインデーなので、オフィスにチョコが集まる。どうせ、恋する年齢が過ぎている者ばかりなんだから、と皆でテーブルに出して食べあう。
 猫を描いたチョコがあったので、我が家のオス猫にひとつ持ち帰る。もちろん、猫にチョコは毒だから、見せるだけ。
 読み続けている、松田毅一少年の「台湾・沖縄の旅」には、結構知らなかったことが出てくる。
 昭和8年沖縄県工業指導所が作られ、染色、機械、陶器、漆器の4部に分かれ研究指導にあたった
 とある。訪問した研究所の庭で、松田少年は、クローバーそっくりの草花を見つける。
 「少し変っているのでG氏に尋ねると、『これは やはた・・・』 『やはた?』
 『そうです、やはたと云って随分根を張り、水分を多量吸収する為農家では非常に嫌います。これからも見て居て御覧。沢山ありますから。』」
 やはた草という花を知らないし、沖縄でも見た覚えがなかった。
 ムラサキカタバミのことだった。
 「江戸末に輸入され、爆発的に繁殖して日本各地で野生化した帰化植物」という。
 江戸末なら、マシュー・ペリーし提督。黒船艦隊が那覇に持ち込んだのだろう。
 ペリーの黒船艦隊は沖縄を拠点にし、東京湾に入り、江戸幕府に開国を迫った。
 艦隊には、日本の植物を採集する研究者が同行していて、1853年、浦賀、横浜、下田、函館の4カ所で350種を超える植物採集をし、1854年~55年には、沖縄、奄美で植物を集め米国に持ち帰っている。
 黒船艦隊が持ち帰る植物あれば、運んできた植物もあったろう。
 
やはた草=ムラサキカタバミは、このときにわが国に持ち込まれた植物ではなかったか。名は、「八幡船=バハンセン(倭寇など海賊船)」、つまり黒船でもたらされたから、ついたのではないかーとふと思った。
  
 なお、私の英会話の先生、スチュワートさんは、「ホッチキスは、ステープラーなのに、日本だけ ホッチキスという。輸入製品がホッチキス社だったという説があるが、ペリー提督が日本に持ち込んだからじゃないですか。ホッチキスはマシンガンの弾のことで、米国海軍が特許を持っていたから。調べて呉れませんか」と頼まれたばかり。おそらく違うと考えているが、ペリー提督大忙し、である。