開高さんのモンゴル散骨を知らなかった

昨日BS-TBSで「漂えど沈まず 小説家開高健が遺した言葉 小林薫モンゴルを行く」
 
を見た。
 
昭和62(1987)年から2度、開高健さんがイトウ釣りをしたモンゴルを、偲んで
 
小林薫、岩切靖治さん、鯉渕信一先生の3人で訪ねていた。
 
 
知らないことが沢山出て来た。
 
開高さんは、モンゴルで散骨してくれと、遺言を残したこと、
 
そして、岩切さん、鯉渕先生、そしてカメラマン高橋昇氏の3人が
 
イトウ釣りした想い出のモンゴル草原を訪ねて散骨したこと。
 
 
海で散骨する人はいる、草の海もいいだろう。
 
夏の草原は素晴らしい、しかし、冬があんなにも厳しいモンゴル草原に、
 
骨を撒くことを、望んだ、
 
作家の心持ちを思って、胸が詰まってしまった。
 
 
 
牧民が、開高さんに、ウソをついていたことも番組で分かった。
 
「上からの指示」で、開高さんに、イトウが沢山生息する場所を、わざと教えなかった、
 
すまないことをした、と20年経って、番組で告白していた。
 
開高さんが、なかなか、イトウが釣れなかった、理由がやっと分かった。
 
モンゴルの役人が指示していたのだ。
 
 
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当時の台本を大切に持っているので、チェックした。
 
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作家は、牧民のウソをうすうす気付いていたようだ。
 
台本ー
 
(通訳の)鯉渕さんが牧民を連れて来る。
 
NA  この人は、あの濁ったチョロート川でイトウを釣ったと言う。
 
開高「水が悪い方がいい? あんなに濁ってて釣れますか?」
 
鯉渕「ネズミの尻尾だとか、ネズミの皮を剥ぐだとか、そういうものでやるんだそうです、彼は」
 
開高「あんな濁った水で釣れますかねえ? どろ水ですぜ」
 
鯉渕「そんな色のときにくる」と言ってるんです彼は?」
 
開高「ほんと? 蒙古の魚は、変ってるなあ」
 
 
1987年モンゴルの自然は、まだ、本当に豊かだった。
 
作家は日本で死して後、灰となってモンゴルの大自然に帰って行った。
 
 
うーん、僕には、その覚悟はない。
 
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