解明!日本初の鷹狩りはハヤブサだった

森の多い日本では、鷹狩りといえばオオタカが愛用された。
         
きりりとした白の眉斑、白の胸に灰黒の横斑、とても美しいタカだ。
 
日本で好まれたのも、なるほどと思う。
 
山や森で、獲物の鳥を、蹠(あし)で掴み、抑え込んで捕る。
 
「獲物は、致命的な傷をオオタカが嘴で加えるまでは大抵おさえられただけで生きている」
 
(下村兼二「野の鳥の生活」)
 
きれいな獲物。こんな処も、日本の鷹狩りで好まれたところかもしれない。
 
 
逆に、砂漠、草原で鷹狩りに用いられるハヤブサは、
 
森林の鳥のオオタカとは、全く別の捕獲の仕方をする。
 
上空から、オオタカ3倍も速いスピードで、獲物に突き当たる。
 
「当たると同時に彼の蹠は強く働いて獲物の頭部や背部の急所に致命的に一撃を与えて
 
飛翔中のその鳥は即座に昏倒して落下する」(上掲書)
 
ダイナミックで勇壮な鷹狩り。だが、獲物は傷ついている。
 
 
日本では、奈良時代からオオタカが用いられたので、鷹狩りの始まりも同様と考えていた。
 
が、違っていたらしい。
 
以前、鷹狩りの始まりについて、日本書紀『仁徳43年の条』に触れた。
 
《ヨサミの屯倉で、アビコという男が、変った鳥を捕まえた。天皇に捧げると、天皇は酒君に鳥のことを聞いた。
 
酒君は、この鳥は百済に多く、馴らして、鳥を狩っている。百済ではクチと呼んでいる。
 
酒君はこの鳥を飼いならし、足にひもをつけ、尾に小鈴をつけ、腕に止まらせて天皇に献上した。
 
天皇はモズノで猟をし、鷹を放つと数十のキジを捕まえた。》
 
クチが、何なのか判らなかった。
 
どうやら、クチは、ハヤブサくさいのだ。
 
中国の唐の時代、渤海国から何度も鷹を献上した。
 
その記録の、「冊府元亀」にこんな記述が出てくる。
 
「四月渤海靺鞨遣使進鷹及鶻」
 
四月に渤海靺鞨から使いが出て、鷹と鶻を中国に進貢した、という記述だ。
 
鷹は判る。
 
鶻はなにか。
 
ハヤブサのことだった。
 
コツまたは、コチと読む。韓国語ではコル。T音が韓国ではR音に置き換えられるのは
 
「博物館」が「ハクムルカン」となるようによくあることのように思える。
 
また、ウイグルも「回鶻」と表記された時期がある。鶻はグルと読まれた、わけだ。
 
コツ=コチ=コル=グル みな同じ語源なのだろう。モンゴルのハヤブサの名、ションコル
 
のコルも同じだろう。
 
 
どうだろう、仁徳紀の、クチが、やはり同じ仲間と考えざるを得ないだろう。
 
 
百舌野でキジを取りまくったクチは、勇壮なハヤブサだった。
 
  高行くや 速総別(はやぶさわけ) 雀(さざき)取らさね
 
 仁徳記には、女鳥王のハヤブサの歌があったっけか。
 
古墳時代の鷹狩りは、ハヤブサを用いたものだった。
 
しかし、鷹狩りがハヤブサからオオタカに移って行った謎が残る。
 
それはまた、別の機会に。
 
イメージ 1
シャグダルスレン「モンゴルの猛禽類」に描かれたセーカーハヤブサ
 
モンゴルから鷹狩り用に、中近東に流出している