大正15年「本邦の鷹匠起源伝説に就いて」。先人の学究は、すごいと思った。
最近、平安時代の古謡を集めた「承徳本古謡集」をめくっていたら、「〇伊勢風俗」と題名のついた240番の古謡に、こんなのがあった。
「伊勢の海なるや はれ
小伊勢の海なるや
鷹等(くちら)の寄る島の
百枝の松の八百枝の松のや
今こそ枝さして
本の富せめや」
伊勢の海の、鷹等が寄る島の、松の枝を差して、松が増えるように、富み栄えよう
といった歌なのだろうか。松の枝を、田に差して豊穣を願う行事がいまもあるから、縁起ものの歌なのだろうか。
目を惹いたのは、「鷹等」という箇所に、「くちら」とルビがあったことだ。平安時代に、「鷹」を「クチ」と読む例があったことになる。
江戸時代、松尾芭蕉が
鷹一つ 見付けてうれし いらご崎
の句を作ったのは此処であり、「笈の小文」には、この辺りに「骨山」といわれる場所があったことを記している。
「骨山(こつやま)と云(いふ)ハ鷹を打処(うつところ)なり」。
鷹をクチと呼んでいたいたことから、「骨山」になったのだろう。さらにいえば、クチ=ハヤブサを捕獲した「クチ山」が、「骨山」になって名が残ったのだろうと推測できる。
クチという言葉から想像すると、オオタカ等を用いた鷹狩(Hawking)とは別種のハヤブサを用いた放鷹(Falconry)の文化が百済から移入され、伊良湖岬あたりで栄えていたのではなかったか、と想像したくなる。