ダルマと九重塔の風鐸

 昔、モンゴルの寺院を訪ねたときに、2階の軒の隅に吊るされた風鐸が揺れて、音が鳴り続けたのを覚えている。草原の風が強かったのだろう。
 
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 同行した女性歌手Kさんが「あの鐘はなんといったらいいのか知ってる?」
と聞いた。
「風鐸だと思います」。
   すんなり答えが出てきたのも、不思議だった。それまで、風鐸などというものに関心をもっていなかったから。
 
 仏殿を仰ぎながら、さすがに歌手は音に敏感なのだとあらためて思ったが、風を受け、少しずつ時をずらしながら、あちこちで鈍い音が鳴る風鐸というものは、面白いものだった。
 Kさんは「そこ(風鐸)からまるで風がわきでるようにきこえる」という感想を漏らした。
 
 日本に戻って、風鐸をじっくり聞いた覚えがない。
 
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 師走を前に、ダルマさんの出番が近づいている折、気になって生前の達磨(菩提達磨)の様子が描かれた唯一の文献「洛陽伽藍記」(楊衒之、6世紀)を読んでいたら、風鐸が出てきた。
 
 516年に創建された洛陽の永寧寺の木造九重塔を記述したところに、ダルマ大師が登場する。
 達磨は西域の僧で、ペルシャ生まれの胡人、と記され
「彼は遥かな夷狄の国を出で立って、わが中国へ来遊したが、この塔の金盤が目に輝き、その光が雲表を照らしているのを見、また金の鈴(宝鐸)が風を受けて鳴り、その響きが中天にも届くさまを見て、思わず讃文を唱えて、まことに神業だと嘆称した」(平凡社東洋文庫、入矢義高訳注)と描かれていた。
 
 なんといっても、金色に輝く九重塔は高さ100mを越えていたから、塔の威容に目を瞠ったのは分かるが、相輪や九層すべての隅に吊るされた総計130の風鐸の音色に、圧倒されたようだ。
 
 楊の記述によると、永寧寺の九重塔は、
「風のある秋の夜などは、金の鈴の音が響きあって、その鏗𨪙(こうそう、リズミカルの意)たる調べは、十余里まで聞こえた」。
 やはり金の鈴(宝鐸、風鐸)の大合奏が凄かったようだ。
 
 達磨は、塔に向い、「口に『南無』と誦しつつ、幾日も合掌しつづけていた」と記される。壁に向って9年の修行をしたという、面壁九年の伝説化された達磨より、塔を仰いで、広い空に鳴り響く音楽を賛嘆する達磨像の方が人間っぽくて、新鮮にみえてくる。